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無印 PS2 上級 211年 劉備入蜀 公孫恭 縛り:無し(セーブ&ロードは認めるがサブデータは作らない) 目標:公孫恭で天下を取る 書いた人:南の国の人 Ⅰ、漢中移住 金4000で曹操と同盟し、騎兵7000ですぐに漢中を目指します。上庸をあえてスルーして漢中に行きます。丁度張魯が劉障を攻めている時に漢中に到着。漢中には約9000の兵がいる。 道が細くなっているところの手前に弓櫓を建てますが、迎撃が来ない。 ならばともっと内側に入り、漢中の城の右下マスから右下、右下、下といったところにもう一つ弓櫓を建てます。まだ迎撃が来ない。 兵舎に火をかけても迎撃が来ない。 兵舎を破壊すると、ようやく出てきた。楊任が約戟3500で。 彼には錯乱が利きます。兵は主に弓櫓で削ります。 彼の部隊は簡単に壊滅。次に張衛が出てきます。戟2000位。 彼にも錯乱が利いたので、簡単に撃破。次が出てきます。1000位。 気力は尽きていたけどさすがに兵力で勝てます。 あっけなく漢中攻略。漢中にいなかった師君には逃げられたけど。 漢中に攻め入った理由には、 ①漢中が守りやすい というのと、 ②楊松なら登用できるのではないか?(イメージ的に) ということがあります。というか登用できないといくら漢中といえども守りきれない気がします。 本当に登用できるのかと不安になりましたが制圧2ターン目に登用できました。確か213年。前回より6年早く武将が2人に増えました。 さらに3ターン後、楊松が楊柏を連れてきました。血縁あるし。前回より21年早く武将が3人に増えました。 さらに5ターン後、楊松が張衛を連れてきました。 公孫恭の時代が始まるような気がしてきました。実際、張魯の配下は全員登用でき、はやくもまともな勢力になりました。長らく11をプレイしているけど初めて楊松に感謝しました。 ところで鳥丸が襄平落としたらしい。 今回仲間になった優秀な人たち 閻圃 今回のMVP 楊松 今回は運がよかった。 Ⅱ、公孫恭は人材マニア まともな勢力になったので内政と平行して人材を集めます。チャンスを狙っていると新野で大規模な戦闘が起きた。孫権と劉備が攻めまくって、劉備が新野を落とした。 孫権軍はかなりの遠征なので兵糧が少ない。で、見ていると新野から北へ移動。曹操領の苑を通り上庸に向かうようだ。 チャンスとばかりにたまたま開発から帰ってきた楊柏に残っていた騎馬4000で上庸を占拠させます。 曹操領の苑を突破したのは潘璋付きの呂蒙隊。 なんてピンポイントなんだ!と喜びを隠し切れない公孫恭とプレイヤー。 上庸を落としても上庸方面に進軍する呂蒙隊。狙いはおそらく房陵港。 十分引き付けてから房陵港を先取すると、呂蒙隊は上庸の北を通り、漢中方面に向かった。何を狙ってたんだろう? ともかく、張衛に楊任、楊昂をつけて騎馬4000を与え、ストーキングしながら一騎打ちを申し込み続けます。 呂蒙隊は兵糧が尽きたので、兵数がどんどん減ります。3ターン目、ついに一騎打ちに持ち込み潘璋を捕らえます。次のターン、再び一騎打ちで呂蒙を捕らえます。 彼らにはしばらく放浪してもらおうと思ったところで、馬超が攻めてきました。陽平関は馬超嶺なので、再び楊松の出番です。活躍してもらいましょう。 楊松は兵力1の輸送隊で出陣。張衛、楊任、楊昂に兵糧と金を補給した後、陽平関に隣接して火を放ち、敵兵が着たらその場で混乱していてもらいます。間接攻撃が無い限り防御は万全。 張衛、楊任、楊昂隊には陽平関の下、下、右下のマスに軍楽台を建ててもらいます。なにかと便利なので。 このころ劉障の攻撃も始まったので閻圃に対応させます。桟道の出口に弓櫓を建てて、補修させ続けます。ここも相手に間接攻撃が無い限り無敵。 劉障軍が貧弱になったところで閻圃を漢中に戻すと、彼が潘璋を登用できました。 すぐに呂蒙も登用できました。勝ちが近づいています。 少しすると陽平関の向こうの部隊が兵糧切れで陽平関に退却し、後ろの弩兵隊が楊松隊を撃破。後の軍勢も続きます。 しかし彼らの部隊は知力が低いので混乱させ、適当に撃破。 このころいい知らせが。劉障軍の援軍に鄧芝が出陣したそうです。 彼の部隊には連弩櫓を突破させ、潘璋に捕らえさせます。しばらく放浪してもらいましょう。 すると今度は悪い知らせが。劉備軍が房陵港に出陣。 呂蒙は頑張ったけど、数に押されて退却。上庸にこもります。 すると、やはりすぐに上庸に劉備軍出陣。房陵港からの軍勢だけでも15000、さらに襄陽から45000ほどの主力っぽい後詰が。 対するこちらは10000ほど。 公孫恭本人や、申儀、申耽まで駆り出して、必死で鮑三娘隊に計略をかけつつ、呂蒙が、開発した連弩櫓の周りで戦います。 ここでさらに悪い知らせが。馬超軍の龐徳が先頭になったためにまた出陣していた楊松隊(兵力1の輸送隊)が壊滅、漢中に侵入してきました。 こちらも連弩櫓と計略を駆使して戦います。潘璋は割と賢いので立派に働きます。 しばらく戦っていると呂蒙が劉備軍の鄧艾を捕らえたそうです。頑張った! 鄧艾は劉備との相性が悪いので戦いの最中に登用。(部隊が壊滅して漢中に戻っていた閻圃が) 馬超軍を押さえてもらいます。 上庸には劉備軍の後詰がいまにも到着しそう。鄧芝の登用が待ち望まれます。 (上庸が取られても漢中に劉備軍が達する前には登用できるでしょうが。) 後詰が上陸したターンに鄧芝登用!早速停戦に向かいます。 なんとか上庸を守り、停戦成功! さらに漢中の潘璋が龐徳を捕え、割と簡単に登用成功!この時216年。 今回仲間になった優秀な人たち 潘璋、呂蒙、鄧艾、鄧芝、龐徳(登用順) 今回のMVP 呂蒙 戦力が揃ってきました。閻圃のおかげで物資も大量にあります。後は統一速度の問題。 これぞ本当のサブデータ -- 名無しさん (2011-05-10 22 40 53) 楊松MVPはワロタww -- 名無しさん (2011-05-10 22 52 36) 是非とも超級にも挑戦してみてください。たぶん同盟自体がジュンイクとの舌戦になってしんどいですけど・・・。そして上庸はギリギリ奪えず、超級だとCPUとの兵力差が大きいからこのパターンは厳しいですかね。でもこういう出張バクチなしでは、10年以上1人プレイなんですよね。涙 -- 名無しさん (2011-08-11 12 34 50) 金7500もあれば舌戦で勝てる。 -- 名無しさん (2013-12-29 09 12 27) 名前 コメント
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リクソン 列伝 呉の武将。元の名は陸議。「呉の四姓」陸家の出。陸抗の父。年少の又従兄弟・陸績に代わり一族を率いる。 【演義】 孫策の死後、孫権の幕下に招かれる。219年、へりくだった書状を送って関羽を油断させ、呂蒙の荊州攻略を支援した。夷陵の戦いでは、劉備の大軍に火攻めで勝利。石亭の戦いでも曹休を大破し、呉の大黒柱となる。 【正史】 早くに父を失い、陸康の下に身を寄せるが、陸康は孫策に討たれる。孫権の代に和解し、孫策の娘を妻とした。以後、異民族の討伐に活躍。244年、丞相となるが、孫和と孫覇の後継者争いに巻き込まれ、憤死。 能力値 統率 武力 知力 政治 魅力 総合 軍事能力 統+武 統+武+知 素質 96 69 95 87 90 437 165 260 順位 3 247 7 23 16 3 42 8 偏差値 67.4 55.6 67.7 63.8 66.1 72.7 61.7 68.7 成長期 維持 維持 維持 維持 維持 - - - 能力持続 短い 短い 短い 短い 短い - - - 兵種 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 適性 A S S C A S 部隊 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 値 65 91 69 110 66 96 56 67 62 73 69 91 順位 145 13 77 1 40 2 293 80 92 8 39 2 偏差値 58.1 69.8 61.4 74.5 62.9 75.3 52.1 60.7 60.0 71.4 63.8 78.0 部隊攻撃力/防御力は技巧研究を全て終えた時点での値。兵器は木獣、水軍は闘艦。 特技 鬼謀 部隊計略を仕掛けられる範囲が一マス広がる マスクデータ 相性 出身地 起用 戦略傾向 地元執着 義理 野望 漢室 生年 登場 没年 死因 性格 音声 口調 122 揚州 能力 中華統一 臨機応変 5/5 2/5 2/3 183 202 245(63歳) 不自然死 冷静 冷静 丁寧 顔グラの変更は46歳。 舌戦 得意話題 保有話術 大喝 詭弁 無視 鎮静 逆上 故事 ○ ○ ○ ○ ○ 親愛・嫌悪 状態 武将名 陸遜 親愛 闞沢、孫氏、呂蒙 闞沢、孫氏、呂蒙 嫌悪 なし なし 血縁 世代 ● 陸康 1 陸遜 ● 陸績 2 陸抗 陸凱 3 陸禕 イベント イベント名 内容 陸遜登場 陸遜の功績上昇 シナリオ シナリオ 年齢 身分 所在 勢力 忠誠 爵位・官職 功績値 配偶者 義兄弟 S1 184年 1月 黄巾の乱 2歳 未登場 呉 - - - 0 - - S2 190年 1月 反董卓連合 8歳 未登場 呉 - - - 0 - - S3 194年 6月 群雄割拠 12歳 未登場 呉 - - - 0 - - S4 200年 1月 官渡の戦い 18歳 未登場 呉 - - - 0 - - S5 207年 9月 三顧の礼 25歳 一般 呉 孫権 100 - 2000 孫氏 - S6 211年 7月 劉備入蜀 29歳 一般 建業 孫権 100 - 4000 孫氏 - S7 225年 7月 南蛮征伐 43歳 都督 江陵 孫権 100 征東将軍 36000 孫氏 - S8 251年 1月 英雄集結 - 一般 柴桑 孫堅 100 - 0 孫氏 - S9 198年 1月 呂布討伐戦 16歳 未登場 呉 - - - 0 - - S10 203年 1月 袁家の戦い 21歳 一般 呉 孫権 100 - 1000 - - S11 217年 7月 漢中争奪戦 35歳 一般 建業 孫権 100 儒林校尉 8000 孫氏 - S12 187年 4月 何進包囲網 5歳 未登場 呉 - - - 0 - - S13 191年 7月 序を制する者 9歳 未登場 呉 - - - 0 - - S14 251年1月 女の戦い - 一般 呉 孫氏 120 奮威校尉 4000 孫氏 - 固有セリフ 焼死「この陸遜が火に焼かれようとは……!」 処断時「負けぬ戦いをしてきたが それも過去の話となった どこで間違えたのか……」 陸遜を可愛がりすぎてすべて90台に乗っける俺 あと鄧艾も -- (名無しさん) 2011-05-09 18 31 47 江東には遺跡候補がかなりある為寿命の長い武将に傾国を付けると 計略隊が出来上がる。 戟がSで統率もバカ高いので武力鍛えて壁役も出来る万能武将 -- (名無しさん) 2011-06-29 13 55 01 孫呉を代表する2大放火魔の1人 火神を付けたくなるのは俺だけか? -- (名無しさん) 2011-09-14 18 29 27 寿命等も考慮すると、なにげに周ユ以上の軍師な気がする。 -- (名無しさん) 2011-09-14 20 41 16 「三国三大放火魔」では? 周、諸、陸、…の -- (麟華) 2012-03-02 03 59 21 諸は、違うでしょう…かもしれない… -- (孔雲) 2012-03-13 16 36 22 朱じゃないのか? -- (名無しさん) 2012-03-14 14 48 35 三国ですから… 赤壁の周瑜…周 夷陵の陸遜…陸 盤蛇谷の諸葛亮…諸 では、ないでしょうか? …私見です。間違ってたら御容赦を… -- (うその海平) 2012-03-21 03 45 50 周瑜と同じで武力を上げればもはや敵無し。 周瑜と違って寿命も長い。 -- (名無しさん) 2012-04-12 19 29 29 周瑜とよく比較はされるがやはり寿命で陸遜が優位にたつ 息子である陸抗も呉屈指の名将なのでヤッパリ周瑜よりは上 楽毅に匹敵する -- (名無しさn) 2012-06-11 22 30 08 正史では人格・能力・見識全てにおいてに非の打ちどころの無い傑出した人物。 正直、仕える主が違っていたら、さらに大成していたと思う。 -- (名無しさん) 2012-10-06 00 06 41 ここで語るべき事でないかもしれないが当時40前後の孫権の7つ上の兄の娘(つまり姪)を娶ってるんだから演義設定の夷陵の戦い時24歳説でも特段無理はないんじゃないかと…? -- (名無しさん) 2013-01-22 23 21 43 すでに出ているが、 周・諸・陸と三国志三大放火魔だし、 夷陵の戦いの火計は周瑜と同等か、それ以上のものなので、 陸遜にも“火神”をつけてあげたい。 -- (名無しさん) 2013-02-15 18 28 03 しかし「火神」もいいと思うが呉が火計に関して優遇され過ぎの様な気も… あくまで出たらおまけ程度に考えた方が良いかと -- (名無しさん) 2013-02-17 04 24 29 きっと歳とった後の顔グラが有ったらすんげぇかっこいいだろうなぁ… -- (名無しさん) 2013-04-16 13 23 55 ↑一応、46歳で顔グラはおじ様のバージョンに変わるよ。 -- (名無しさん) 2013-04-16 15 50 39 いや…趙雲とか司馬懿みたいな老グラを少し -- (名無しさん) 2013-04-17 11 47 01 夷陵の戦い時、部下に散々不満を持たれ、陰口を叩かれたことを考えると魅力90は高すぎるとおもうのだが。 70位が妥当だとじゃないかな。 -- (名無しさん) 2013-05-12 18 57 51 その戦いを乗り越えて90に値する将になったって発想はないんだろうな。 -- (名無しさん) 2013-05-13 03 28 02 どちらかと言えば政争で負けたのに政治が80越えてる方が気になる 実績が全くないわけではないが70後半でもいい気はする -- (名無しさん) 2014-07-15 06 52 50 人材劣化が痛すぎるS7孫権でも、鬼謀の陸遜と百出の諸葛恪で計略隊のサブ特技は完備。しかし肝心の成功率系の特技がろくにいないので、どうにも宙に浮いてしまう。 陸遜の統率と適正なら最前線に踏み込むのも余裕なので、特技は心底微妙。できるならばとっとと廟から計略成功率系の特技を与えてあげたい。 神算や虚実もちの陸遜が部隊にいると損耗の度合いが全く異なる。他国に特攻盗掘隊を送ってでも付け替えておくと、展開はだいぶ楽になる。 -- (名無しさん) 2014-09-03 16 19 59 知力95しかないんだな。年々能力を微妙に下げられてて嫌だなぁ。まあ強いけど -- (名無しさん) 2014-11-17 19 56 28 95しかって言うけど95って限りなく最高に近い評価なんだけど -- (名無しさん) 2016-05-16 17 11 52 孫桓の件といい、能力を読み、計略を練ることには長けていても、味方の心までは読まかった(読めなかった?)節がある男。現代で言うなら「言ってる事は正しいし予測も当たるんだけどなんだか納得がいかない」という気持ちを抱かせる上司、と言ったところだろうか。 ゲームの能力値的には穴が無く、寿命も長い。周瑜や魯粛といった人材がいなくなった後期の呉では彼に頼る他ない。計略隊としての運営ももちろんだが、少々物足りない武力を上げて攻撃の要にもなってもらおう。 -- (名無しさん) 2016-10-18 00 15 18 能力値90越えが3つ、政治もそれに準じ、武力も69と低くはない数字で あの曹操にも匹敵しうるオールラウンダー。 そして適正Sは3つ、上および同格の3人、曹操、周瑜、司馬懿は2つなので ある意味では三国志史実武将の中では最も恵まれた戦闘能力を誇る。 特技が微妙なのは、せめてものバランス調整だと思おう。 史実では緊張状態の中で行われた孫家との和解は、今作では特に反映されておらず 結果、孫策への嫌悪関係がないのも大きい。演義のように222年まで腐さず、戦場に放り出したり 育成をしたりして孫呉の柱石になってもらおう。知力を鍛えて虚実神算をつけるもよし、武力を鍛えて攻撃系の特技を付けても面白い 余談だが、あまりに強すぎたのか最新作三国志13では弱体化 統率で今作同値だった曹操も強化されたため、新作が出るたび弱体化という 史実の不遇っぷりとリンクする悲運の武将でもある -- (名無しさん) 2016-10-18 02 28 04 強い・・・ことは間違いないのだけど、計略クリティカル系、確率アップ系の特技じゃないせいか、あんまり刺さらない印象。 付け替えるか、誰かクリティカル系か確率アップ系特技持ちor付加した武将と組ませると、更に使いやすくなる。 -- (名無しさん) 2017-07-03 01 04 56 父を失い、叔父の元に身を寄せるも叔父も討たれるというのは、諸葛亮の経緯と被るところがある。二人の間に、親近感のようなものが生まれていたのかもしれない。 -- (名無しさん) 2017-11-25 08 30 45 稼働期間がえっらい長い上に超有能というチート。 特技が鬼謀だが、単体では計略の成功率に少し不安があるので、確率アップ系の特技がある武将を副将にするか、自身の特技をつけかえるかしよう。 -- (名無しさん) 2018-10-17 10 26 00 放火魔、洛陽の董卓。 -- (名無しさん) 2019-05-31 15 23 05 強い -- (名無しさん) 2021-09-25 19 39 50 名前 コメント すべてのコメントを見る
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編集を押すと内容の編集が行われます。 更新した内容は三国志関連(その他)に反映されます。 三國志GBA 編集 タイトル Part1 最新 リスト 備考 編集 三国志GBA版(Ⅳ)で全国統一してみる 前置き&ルール 本篇18 リスト 投稿者削除 編集 三國志DS 編集 タイトル Part1 最新 リスト 備考 編集 プレイ静止画 予告編 第四回 リスト ↓開始に伴い終了 編集 南海王呂布 動画 2 リスト 投稿者削除 編集 三國志DS2 編集 タイトル Part1 最新 リスト 備考 編集 白馬将軍でプレイしてみた 1 12 リスト 投稿者削除 完結 編集 三國志DS3 編集 タイトル Part1 最新 リスト 備考 編集 劉備様が徐州から天下統一するようです 1 FINAL リスト 完結 編集 三國志英傑伝 編集 タイトル Part1 最新 リスト 備考 編集 SFC三国志英傑伝 普っ通にプレイ #1 #9 更新停止 編集 三国志子龍伝 第一回 第三十回・その3 リスト 更新停止 編集 【ゆっくり実況】三国志英傑伝をプレイ その1 その50【最終回】 おまけ リスト 完結 SFC版 編集 三国志英傑伝 まったりプレイ 1本目 26本目 リスト 平行して↓を開始 編集 三国志英傑伝 劉備単独プレイ その1 その23 リスト 編集 三國志英傑伝 part1 part18 リスト 編集 【三国志英傑伝】有名武将切捨御免実況【縛りプレイ】 part0(説明) part22 リスト 編集 三國志孔明伝 編集 タイトル Part1 最新 リスト 備考 編集 【GBA】 三國志孔明伝 普通にプレイ その0 その42(最終回) リスト 完結 編集 三国志孔明伝実況プレイ その1 その23 リスト PS版 編集 三國志曹操伝 編集 タイトル Part1 最新 リスト 備考 編集 三国志曹操伝 第一回 第五回 更新停止 編集 三国志曹操伝 魔王孔明編(青ルート) 序章 OPのみ 編集 三国志曹操伝 呂布と貂蝉 蜀呉の攻防(赤黄) リスト 更新停止 編集 三國志曹操伝 01話 おまけ1 44話 おまけ6 リスト 完結 編集 【魔王】名作SRPG 三国志 曹操伝 実況付き【孔明】 その1 その23 リスト 編集 「三国志 曹操伝」を地味に実況プレイ 0回目 70回目(最終回) リスト 完結 編集 三国志曹操伝 part1 part46 リスト 完結 編集 【ゆっくり実況】三国志曹操伝をプレイ その1 その37 リスト 編集 三國志戦記 編集 タイトル Part1 最新 リスト 備考 編集 三國志戦記 曹操編をまったり実況プレイ 1 17最終回 リスト 完結 ↓を開始 編集 【リベンジ】三國志戦記 曹操編をまったり実況プレイ 1 2 リスト 編集 十連鎖で99999人撃破してみた 動画 - 単発 編集 格安オススメゲーム!!隠れた名作、三国志戦記 動画 - 紹介 編集 三國志戦記2 編集 タイトル Part1 最新 リスト 備考 編集 たかしがやる三国志戦記2 その1 その22 リスト 更新停止 編集 三国志戦記2 連鎖動画 その1 その31 解せぬ編 リスト 編集 三国志戦記2 孫策外伝 前略 7章 その3 一部削除 完結 ↓を開始 編集 【三国志戦記2】~曹操外伝~ part0 第6章 同盟軍征討戦 ③ リスト 完結 ↓を開始 編集 孫策外伝 前略 4章 孔明追撃戦 リスト 編集 三國志戦記2を適当にプレイ part1 part31 リスト 完結 呂布外伝 編集 横山光輝三国志(エンジェル) 編集 タイトル Part1 最新 リスト 備考 編集 横山光輝三国志 馬騰で三国統一 1 31 運営削除? 編集 【TAP】SNES 横山光輝三国志 曹操で三国統一 PART1 PART14 リスト 完結 編集 【TAP】SNES 横山光輝三国志 劉備で三国統一 PART1 PART9 完結 編集 【ゆっくり実況】横山光輝三国志を劉備でプレイ その1 その28(最終回) リスト 完結 編集 横山光輝三国志を実況プレイ(縛りつき) part1 最終回 リスト 完結 ↓を開始 編集 横山光輝三国志2を実況プレイ part1 最終回 リスト 完結 編集 【SFC】横山光輝三国志盤戯 スゴロク英雄記 動画 エンジェル 編集 横山光輝 真・三国志(ナグザット) 編集 タイトル Part1 最新 リスト 備考 編集 PCE「真・三国志 天下は我に」 曹操でプレイ 曹操で序盤プレイ プレイ10Final リスト 完結 編集 三国志 中原の覇者(ナムコ) 編集 タイトル Part1 最新 リスト 備考 編集 ナムコの三国志 その1 その2 更新停止 編集 FC版・三国志・中原の覇者・クリア動画 1/5 5/5 リスト 投稿者削除 完結 編集 友人がやりたがるレトロゲーを一緒に実況プレイ Part1-1 最終回 リスト 完結 非表示設定 編集 三国志 中原の覇者 第一幕 第二十一幕 リスト 編集 三国志 中原の覇者 レベル1最短統一 その1 その3 完結 編集 三国志 中原の覇者 ソンサクでプレイ その1 その8 編集 ナムコ三国志(FC版)をダラダラとプレイ 1 FINAL リスト 完結 編集 三国志 中原の覇者 プレイ動画 第1回 第15回 リスト 投稿者削除 編集 ナムコ「三国志~中原の覇者~」を実況プレイ 第1歳 最終歳 リスト 完結 編集 さ……なんとか志 (⇒im@s) さの1 さの2 編集
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基本設定 上級 討死無し 能力変動、落雷無効 他史実設定 いにしえ、追加武将有り 縛りルール 漢室復興を目指すため漢室無視の将は登用不可 董卓、李儒の処断 使用できるのは騎兵のみ 第1章 先ずは、韓遂、梁興、成公英、成宜、馬玩を追放。 流石に四人では辛いので追加武将の後の馬超の奥様 楊氏を加入させときます。 能力研究は築城まで研究をしたら連戦獲得に向けて研究予定 最初のターンで劉ヨウ獲得に馬超を派遣。 残りの四名で内政しながらあのイベントを待つ。 三度のゲームオーバーを挟んで。 劉ヨウがなかなか獲得できないので最初は探索から試みる 石蹈、杜氏、贏政が見つかる 贏政は漢室無視なので獲得できないが石蹈、杜氏は有りがたく獲得 早速石蹈を軍師に任命。 4月21日都遷都イベントが発生 洛陽に在野が誰がいるのか確認してみると 司馬朗、廬植がいたので早速登用を試みる。 また、董承も獲れると言うので獲得を試みる。 司馬朗、董承は失敗、廬植は登用成功。 司馬は諦められないので再チャレンジ。6人目でようやく登用成功 季節はもう8月になってる。 前回、前々回は7月から董卓の進攻を受けていたが10月まで董卓軍の動き無しだった しかし、遂に董卓軍が動き出す。 天水、安定から4部隊が出撃南の渡りは塞いでいるからだろう東の渡りからの進軍を狙っているようだ。 何とか間に合った築城を付けた司馬朗とホウ徳を副将にした馬超の部隊を向かわせて一安心 と思いきや南にも安定からの増援の騎兵隊が侵入をしようとしてくる。廬植をむかわせ撹乱一閃で 南に来た騎兵隊が混乱。流石は董卓軍、脳筋で助かる。 まあ、いつまでも撹乱できないので 早く東に回った董卓軍を倒さねば。 191年3月司馬朗に続いて築城を付けた劉ヨウをむかわせる。次のターンには東の迎撃も済んだので馬超を行かせる。 南は衝車、井闌を含め5部隊が渡りの前で立ち往生している。 192年1月 南の渡りの攻防戦が董卓軍の物量作戦で年が明けても終わらないなか馬休成人 これで、文官推挙で王異、在野にいた厳峻とで13人となった。 4月には在野にいた董和、楽毅を6月には捕虜の霍去病を獲得に成功。 かなり人材が充実してきた。この頃には南の渡りの攻防戦も一段落ついたので 武威に2ヶ所ある廟候補地に馬超に探索に行かせる。 残念ながら遺跡でした。 193年1月馬鉄成人 あれ以来董卓軍の進攻はなく平和。 董卓はいま、安定、天水、長安、漢中、上庸、宛、新野を治め 東は曹操の洛陽に南は劉焉の梓潼に侵攻中 劉焉軍はかなり厳しい模様。 曹操軍は洛陽他許昌、陳留を治め、董卓軍の侵攻を抑え逆に押し返して長安に侵攻 また、許昌の軍で宛に侵攻している。 7月21日遂に武威の兵力が最大値100000に達する。 馬超「父上軍備増強が終了いたしました。」 馬騰「霍去病はまだ戻らぬか?」 ホウ徳「ハッ劉曄登用から戻るのに後130日かかります。」 馬騰「そうか‥‥‥少し不安だが天水に向けて出撃しよう。」 第二章天水攻防戦 馬騰(繁殖)+楽毅(心攻)10000 周泰(水神)+馬休(長駆)+王異(怒髪)5000 馬超(騎神)+ホウ徳(白馬)6000 閻行(繁殖)+馬鉄(親羌)+石蹈(規律)5000で出撃 ホウ徳が非常に勿体ないポジションだが馬超に付ける軍師が居なかったので仕方なし。 天水攻略部隊が武威領内から出ると安定から迎撃部隊が3部隊出撃してくる。 戦うポイントに太鼓台を1個設置し迎撃部隊との戦闘開始 馬騰、馬超の突撃で1800~2000の兵を削ってく。 胡車児を捕らえたので処断。処断第1号 続けて董旻も捕らえたのでこちらも処断。 一気に3部隊を片付け今度こそ天水へ 天水からは賈クを含む3部隊出撃。同じように太鼓台を作って戦闘開始 賈クは流石に硬く馬超、馬騰の突撃でも1000前後しか削れない。 何とか賈クら3部隊を撃破して天水包囲。 安定から安定近くに造った太鼓台を破壊しに部隊が出撃してきたので、 登用失敗で帰ってきていた霍去病を迎撃に向かわせる。 この迎撃初めは良かったのだが貂蝉の計略でボロボロにされて5000の兵が 2000を割るぐらいまで削られて天水へと逃げだすことに。 194年1月1日攻略軍が10000近く減ったものの何とか 天水攻略賈ク、鄒氏を捕らえる。 翌月、早くも長安から天水へと進攻する部隊が出撃してくる。 急いで防衛設備を作り始め 翌3月には成宜の騎兵隊が到着する前にある程度防衛設備が整い迎撃開始 また、この月に賈クを登用ようやく軍師が手に入る。 成宜の部隊は早々に袋叩きにして全滅させる。成宜を捕らえたので処断 賈ク軍師の判断力は優れ在野の劉曄を1発登用、天水へ侵攻していた 部隊の1部隊の廖化も見事に調略成功。その他武官推挙で張英、梁操を得る。 ホウ徳が岳飛も推挙してくれたが残念ながら返り討ちにあってしまった。 う~ん下手だなぁ。 安定からも楊秋騎兵隊が来たがさっさと迎撃全滅時楊秋を捕らえたので処断。 10月連戦を獲得したので馬騰、梁操に付ける 12月指導持ちの廬植死亡。 馬騰「悲しいなぁまた1人漢室復興の仲間が亡くなったかぁ。」 195年まだまだ天水攻防戦は続く今は、南の漢中から董卓軍が侵攻している。 東では曹操軍が宛を攻略し、今また新野も得ようとしていた。 長安洛陽の攻防も潼関まで曹操のものになっている。 南の梓潼はどうやら劉焉軍が防衛に成功したようだ。 1月 天水の在野費詩を発見し登用能力は中だが馬騰軍にとって政治70以上はありがたい また、捕虜にしていた皇甫嵩を獲得。 残りわずかな人生馬騰と一緒に漢室の為に働いてもらおう。 天水攻防戦にて北から迫っていた董承も調略する。 董卓軍の最大の弱点は董卓に魅力無く部下に裏切られやすいところかもしれない。 技巧研究騎射獲得。 これで、弩兵を使えないので防衛戦にありがたい武器ができた。 2月頃 董卓、白起、馬玩の3部隊がようやく天水に迫ってきた。 今天水は40000を越え南の防衛設備として太鼓台を2台設置して迎撃準備はばっちし。 先ずは、董卓を馬騰、馬超、霍去病の突撃でガリガリ削り全滅させ、 白起は馬超突撃時に一騎討ちが発生し勝利して捕獲。馬玩もプチっと潰す。 3月 長安から安定を通るルートで天水進攻する部隊が出撃する。チャンス 漢中から来る閻圃への対策に霍去病を残して全員武威へ移動。さて、次だ 第3章董卓討伐 馬騰「まずは、ホウ徳、王異は結婚せよ」 ホウ徳「ハハッよろしく頼む王異。」 王異「末永く幸せにしてくだされホウ徳様。」 馬騰「では、安定攻略を開始する。」 馬超「お待ちください父上! 天水に向けて長安より董卓軍が侵攻中と聞きます 霍去病、賈ク軍師だけでは厳しいのでは?」 劉曄「若君、ご安心ください。 長安からの部隊は安定を通る道で進んでおりますので 武威から部隊を侵攻させれば道の途中で長安からの部隊と戦うことができます」 馬超「なるほど!流石は劉曄だ」 馬騰「よし、それでは、部隊を編成する。」 馬騰(連戦)+皇甫嵩(火攻)11000 馬超(騎神)+劉曄(射程)7000 周泰(水神)+石蹈(規律)+馬休(長駆)6000 ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)7000 楽毅(心攻)+馬鉄(親羌)7000 司馬朗(築城)5000 計43000で出撃 項籍、韓遂が安定より迎撃に出撃、次のターンには張遼も出撃してくる。 劉曄の撹乱で項籍を混乱させる。 司馬朗で太鼓台をガンガン作り、項籍隊から攻撃を加えていく。 敵迎撃部隊を全滅させる。項籍隊の副将にいた何儀、韓遂を捕らえ、処断。 長安より天水攻略に侵攻している華雄槍隊が馬騰らの部隊の南から上手くすり抜けて 天水へ向かおうとするので劉曄の偽報で呼び戻し太鼓台の範囲内で袋叩きにする。 天水攻略部隊に出撃した衝車隊の劉勳を捕らえたので捕虜に。 5月天水の牢屋にいた白起の登用に成功。 7月安定を攻略 樊調、楊松、侯選、項籍を処断 馬騰「‥‥しまった!」 馬超「どうしました父上?」 馬騰「項籍を複数一緒に処断してしまったのでセリフを見れなかった!」 馬超「‥‥‥‥‥」 10月曹操軍に長安が攻めこまれるなか 長安にて疫病発生。さて、どうしよう‥‥。 12月 馬騰「陛下は曹操殿に任せようとおもう。」 馬超「!?宜しいのですか父上?」 馬騰「曹操殿は漢の功臣夏侯嬰、曹参の一族である陛下を無下には扱うまい。」 賈ク「しかし、ここまで来てそれは‥‥‥」 馬騰「我らは董卓討伐を最優先させる。 漢中、上庸を落とし陛下に董卓の首を捧げようぞ」 馬超「ハハッ!必ず董卓らの首を討ち取ってご覧にいれましょう。」 賈ク「‥‥‥‥畏まりました。」 ‥‥ということで長安は曹操軍に任せることにしました。 いやぁ悩みましたよ。 許昌遷都のイベントを見たいと思い最終的にこの決断に至りました。 そして、もう1つの大きなイベント二強開戦を見たいので袁紹軍を確認 案の定劉備と公孫讃、韓腹から勢力を継いだ王匡らに河北を荒らされ 薊、北平に風前の灯でいました。 ‥‥何でいつも袁紹ってこんなに弱いんでしょうね。 編集を使い薊、北平を最大に強化。これでダメだったらもう知りません。 しかし、プレイ日記で編集機能使用は 例え自分の勢力に関わるような事でなくてもNGなのでしょうか? どうかこの一回だけですのでお見逃し下さい。 ゲームを続けます。 196年 曹操軍強し、上庸も落とし今や10都市を支配長安も後1、2ターンで落ちそうなので 11ですか‥‥曹操は袁紹と真逆でどんな状況で始めても強いですね。 董卓は上庸を奪われ後は漢中のみしかも劉焉軍に攻めこまれる始末。 漢中攻略作戦急いだ方がいいですね。 我が馬騰軍は安定攻略で捕虜にした荀攸、貂蝉を登用。 知恵の部分でも大分強化された。 おそらく次に戦うことになるであろう劉焉軍は益州南蛮の生産力を得て 今は、孫堅、劉表と激しく江陵で激突。 孫堅は荊州南郡と柴桑を得ているが将の数が少なく伸び悩んでいる模様 1月11日曹操軍長安攻略献帝擁立 2月11日天水からの漢中攻略作戦開始 馬騰(連戦)+皇甫嵩(火攻)+董承(築城)11000 馬超(騎神)+凌操(連戦)+石蹈(規律)7000 霍去病(騎神)+馬鉄(親羌)+劉曄(射程)7000 ホウ徳(白馬)+馬休(長駆)+王異(怒髪)7000 楽毅(心攻)+荀攸(百出)+貂蝉(傾国)7000 賈ク(反計)+周泰(水神)+白起(闘神)6000 計45000で出撃 4月 難所行軍研究完了。これで、益州攻めの大きな武器をゲット。 陽平関を落とし漢中に迫る。 華雄、張遼、董卓が迎撃に出撃ちなみに呂布が居ないのは曹操軍に獲られてしまっているからだ。 中々厳しい戦いになり7000にた霍去病の騎兵隊が242まで減らされ撤退を余儀なくされた。 5月劉焉死亡。劉璋継承 許昌遷都のイベント発生。荀イクと曹操の微妙な食い違いが感慨深い。 6月漢中攻略成功。董卓滅亡 董卓、袁術、胡診、牛輔、張済、成公英処断 鄒氏、張繍、張遼、張勳、高順、楽就、侯成、宋憲、張既獲得。 蔡瑁、郭シ解放。←嫌いな武将なので別に処断しても良かったのですが‥‥ 斬るには勿体ない中堅だったので解放してあげました。 次の章は益州攻めにするつもりではいますがさてはて。 第4章劉璋との戦い 馬騰「白起、お主、漢室無視だったのか?」 白起「は?漢室など古くさい」 馬騰「追放」 ‥‥‥すみません白起漢室普通だと思ってました。 11月張遼が武官推挙で朱桓を連れてくる。 全能力80前後の優等生。ただ、槍将なので特技の付け替えが必要。 漢中に外交府を建て曹操に土下座外交をしながらこの年を終える。 197年 馬雲録、馬岱が成人 袁紹軍は強化のかいあり、公孫讃を滅ぼし今は、南皮奪還に激しく攻撃を加えていく しかし、流石は劉備軍。関羽らの厳しい攻撃にかなりの被害が出ているようだ 江陵での戦いは孫堅が制したが劉璋もまだまだ、諦めておらず虎視眈々と江陵を狙っている。 曹操はいよいよ荊州城陽攻略へ乗り出したようだ。 馬騰軍は曹操軍の動きに焦りを感じつつ軍備増強を行う。そして‥‥3月 賈ク「劉璋軍の張任隊戟兵S 8000が剣閣に向けて進軍中との報告を受けました。」 馬騰「よし、少し早いが梓潼攻略部隊を編成する」 馬騰(連戦)+朱桓(槍将)+董承(築城)11000 ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)8000 馬超(騎神)+凌操(連戦)+馬休(長駆)8000 霍去病(騎神)+馬岱(沈着)+鄒氏(楽奏)8000 張遼(威風)+馬雲緑(騎将)+劉曄(射程)8000 楽毅(心攻)+華雄(猛者)+馬鉄(親羌)7000 高順(攻城)+荀攸(百出)+貂蝉(傾国)7000 計58000対する梓潼は張任合わせて65000 中々厳しい戦いになりそうだ。 7月21日梓潼攻略 予想外に楽な戦いだった都市の兵士数は多かったがそれを指揮する武将が四人しかいない すぐに梓潼を囲んで太鼓台を2個造り一斉攻撃して兵士数を削ってから迎撃部隊を撃破 王甫、高沛を捕虜にした。 急ぎ漢中に治安維持担当の二人を残し残り全員を梓潼内政のため移動させる 10月内政の目処がたったため成都攻略作戦開始 馬超(騎神)+馬岱(沈着)+石蹈(規律)8000 ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)+馬雲録(騎将)8000 張遼(威風)+張繍(騎将)+朱桓(槍将)8000 霍去病(騎神)+華雄(猛者)+劉曄(射程)8000 高順(攻城)+馬休(長駆)+董承(築城)7000 計39000対する成都は2つの関を合わせても20000に 届かない。年内攻略できるか? 198年後一撃で成都陥落というところで年明けを迎える。 曹操軍は城陽、北海、盧江を落とし今は、僕陽に部隊を派遣している。 袁紹軍は南皮を奪還しその勢いのまま平原を攻略しようとしたようだが 残念ながら返り討ちにされていた。しかし、北平には70000、南皮には40000の軍が在中し すぐにでも劉備軍を攻める準備は出来ているようだ。 荊州江陵は今は、劉璋軍の支配下しかし、すぐ北の城陽には曹操軍70000が在中。 すぐにでも主交代となりそうだ。 1月成都攻略初の大都市ゲット。 また、楊昂を処断。梓潼には登用に成功した高沛を残して成都へ。 内政を始める。 内政をしている間に捕虜の韓信、張任、楊壊、王甫、また、武官推挙で謝旌を得る。 この頃曹操軍は江陵を支配下し永安にも手を伸ばす。 7月11日曹操軍に永安を獲られないよう 江州攻略作戦開始する。 馬騰(連戦)+賈ク(反計)+董承(築城)12000 馬超(騎神)+凌操(連戦)+劉曄(射程)9000 ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)+張繍(騎将)9000 霍去病(騎神)+韓信(強行)+馬雲録(騎将)9000 張遼(威風)+馬休(長駆)+石蹈(規律)9000 楽毅(心攻)+馬岱(沈着)+華雄(猛者)8000 計56000で出撃。 8月11日二強開戦イベント発生。 まあ、二強開戦と言っても力の差は歴然となってしまっているのだが‥‥ この後袁紹軍は果敢にも北海へ軍を出撃させる。‥‥‥やめとけばいいのに‥‥ 21日江州からの迎撃部隊を全滅させ厳顔を捕らえ、捕虜にする そういえば劉璋軍は初期配下に弓将が二人も居るんですよね。 そして補佐持ちの弩Sの呉懿と 技巧研究は弓を育てろと言わんばかりな布陣に見えるのは私だけでしょうか? 9月21日江州攻略。 雷同を捕虜にする 永安の戦局を窺いながら内政開始。 今回は長安のようなことはせず確実に永安は漁夫の利作戦決行させていただきます。 199年プレイは10年目 曹操軍は北海防衛戦。永安、ギョウ攻略戦と3ヶ所の戦線を抱える 北海の袁紹軍との北海防衛戦では徐晃、関羽の部隊がいる。 場所は違うが白馬の戦いのようでちょっと感動。 袁紹軍は北海に大部隊を派遣するが北海の臨済港の前をがっちり固められ上陸できない。 劉璋軍は永安防衛戦大善戦曹操軍を何部隊も追い返し永安への渡りを渡らせない。 しかし、孫堅軍も永安攻めを始め辛い局面を迎えはじめる。 韓腹軍を継承した王匡軍はギョウ防衛戦見事に曹操軍を追い返すが 陳留よりまた曹操軍がギョウへと進軍を始めている。 2月11日永安攻略作戦開始 馬騰(連戦)+賈ク(反計)+馬鉄(親羌)12000 馬超(騎神)+凌操(連戦)+劉曄(射程)9000 ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)+張繍(騎将)9000 張遼(威風)+司馬朗(築城)+馬雲リョク(騎将)9000 霍去病(騎神)+華雄(猛者)+韓信(強行)9000 楽毅(心攻)+荀攸(百出)+貂蝉(傾国)8000 計56000で出撃して一気に攻め落とす作戦 永安へは劉璋軍の武将、兵は全て東から来る孫堅、曹操軍の防衛戦で 馬騰軍に迎撃に向かってくる部隊はなくすぐに永安を包囲劉璋の部隊が全滅するのを待つ 4月11日永安攻略 蔡氏、孟達は処断。呉懿、呉班、秦フク、秦瓊は捕虜にした後登用 唐の名将門神秦瓊ゲット。門神だから特技は金剛何ですかね? 孫堅軍、曹操軍は獲るものなく退却していく。 在野楊阜、韓徳を得る。楊阜は馬超とは嫌悪だが馬騰なので関係なし 内政担当だから戦場に連れていくこともないだろう。 5月1日建寧から劉璋軍が成都に向けて進軍 距離もあるので無視して全員で永安で内政に着手。 8月21日長駆持ちの馬休で行っていた廟、遺跡探索で江州周辺に廟を発見。 張飛プレイの時になかなか役に立った連環を賈クに与える。 11月までに建寧からの成都攻略部隊を全滅させる。 呉起の衝車隊が先陣をきり、その少し後ろから英布の槍隊が続く 渡りのところで待ち伏せ呉起の衝車を壁にしてすぐ後ろに並んだ英布槍隊をまず 太鼓台で強化した騎射で削り頃合いを見計らって呉起の衝車隊を倒し、英布槍隊を倒す その後から来た黄権の衝車隊も一気に全滅させる。その際黄権を捕らえたので捕虜にして 登用。 12月華雄死亡。 特技猛者全く発動を見ることなくお亡くなりになってしまいました。 建寧攻略作戦開始 馬騰(連戦)+董承(築城)+韓信(強行)12000 張遼(威風)+張繍(騎将)+馬休(長駆)10000 馬超(騎神)+劉曄(射程)+呉懿(補佐)10000 ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)+凌操(連戦)10000 霍去病(騎神)+馬鉄(親羌)+黄権(規律)10000 楽毅(心攻)+荀攸(百出)+賈ク(連環)9000 計61000で出撃。 200年 曹操軍 袁紹軍に北海を奪われるが王匡軍改め藩鳳軍のギョウを奪うが 袁紹軍の攻撃を受けギョウもまた奪われてしまう と言うさんざんな一年 しかし、南は永安を馬騰軍が奪ったため北以外は全て同盟国となり 北へと兵力、人材を集中できるようになった。 袁紹軍 土地では北海、ギョウを得て、人材では曹操軍にいた高長恭、彭越を得て 昨年は飛躍の1年に。 今は、下ヒとの激しい攻防を繰り広げており何とかせいして河南の大都市を得たいところだろう。 6月永安に廖立が士官を求めてやってくる。まだまだ、文官が不足気味の我が軍にとってありがたい 建寧攻略 本道には連弩櫓を複数設置していたので森を通るルートから都市に接近する。 森ルートからだと内政地には兵舎があり破壊することで建寧の徴兵をストップ。 都市包囲して一斉攻撃にて陥落させる。 11月21日劉璋軍の最後の都市雲南の攻略作戦開始 馬超(騎神)+楽毅(心攻)+馬休(長駆)10000 ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)+凌操(連戦)10000 張遼(威風)+韓信(強行)+馬雲リョク(騎将)10000 霍去病(騎神)+呉懿(補佐)+馬岱(沈着)10000 計40000対する雲南には21000そして楊大眼、英布、呉起がいる 多少てこずるかな。 201年 曹操軍 北海を取り戻し、今は、ギョウ攻略へと大軍団をギョウへ進攻させている。 ギョウには24000にいるがその何倍もの兵がギョウへと接近しており 統率している将も徐晃、呂布、魏延、夏侯淵等と名将が揃う。 袁紹軍 北海を奪い返され今は、ギョウも危険な状態ギョウには30人の将がおりここが落ちれば 一気に体勢が決まりかねない。 孫堅軍 昨年は江夏を落とし今年は寿春へと進攻させている。 寿春の劉辟軍には岳飛、鄭成功、張良が居る劉辟軍には厳しいが 勝機は無くもないかな? 4月 建寧で疫病発生。ついてない‥‥ 雲南攻略劉璋滅亡 非常に勿体ないが張松、呉起は漢室無視なので処断する 英布、王累、関寧、孔丘、呉蘭、ホウ義、楊大眼、劉カイ、劉循、劉璋 疾走持ちの楊大眼を誰と組ませたものか贅沢な悩みをかかえる。 何名か除いて中堅どころの者ばかりだが治安維持役として大いに活躍してもらおう。 劉璋は‥‥‥‥‥‥まあ、マスコットとして劉循とセットで何処かに置いておこう。 第5章荊南攻略 荀攸「若君どうされました?憮然として?」 馬超「父上は臆病風に吹かれたのではないのか? 何故曹操に闘いを挑もうとしないのだ?」 荀攸「さて、小人の私には解りかねますが‥‥。」 馬超「謙遜はいい、荀攸の考えを聞かせてくれ。」 荀攸「しからば 曹操軍は今袁紹軍との決戦の真っ只中でございます。」 馬超「だからこそ今こそ曹操軍を後方から襲うべきではないのか? 曹操軍はこちらとはまともに闘えまい。」 荀攸「はい。その通りでございます。 その場合曹操軍は間違いなく停戦を申し込んで来るでしょう。」 馬超「そんなもの突っぱねれば良かろう?」 荀攸「はい。しかし、曹操軍は帝をおさえております。 帝の名で停戦の勅旨が出されればどうでしょう。」 馬超「!!!‥それは‥‥‥」 荀攸「たとえ曹操の意志で出された勅旨であっても 我らが漢室再興を掲げている以上無下に断ることはできませぬ。」 馬超「‥‥なるほど」 荀攸「‥‥と言うのが理由の1つです。」 馬超「1つ?まだあるのか?」 荀攸「はい。もう1つは猛将の血です。 曹操軍と智と智、武と武を真っ向から競いあいたいのでしょう。」 馬超「なるほど、確かに曹操軍は曹操を筆頭に多くの名将、猛将、知将がるというしな。」 荀攸「なので邪魔が入らぬよう先ずは公庫の憂いをたつ必要があります。」 馬超「解ったありがとう荀攸。では、私は来るべき決戦に向け腕を磨こう。」 ‥‥‥と言う会話があったような気がしつつ次は孫堅軍との戦いを始めます。 202年 曹操軍 ギョウ、平原を奪い今は、大軍勢で南皮進軍中 袁紹軍は後何年持つのか‥‥ 孫堅軍 劉辟軍より寿春を奪い今は、劉辟軍最後の都市汝南へ進行中 劉辟軍は後一年の命といったところだろう。 1月孫堅軍との同盟を破棄成都から荊南攻略軍を出撃させる。 馬超「これだけの軍勢をいただける以上 この軍勢を持って荊州南部四群を全て奪ってみせましょう。」 馬騰「うむ。よくぞ申した。頼もしいぞ。しかし、本当に大丈夫か?」 馬超「男に二言なしお任せを」 ‥‥‥出撃部隊は下記の通り 馬超(騎神)+黄権(規律)+楊大眼(疾走)10000 ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)+凌操(連戦)10000 張遼(威風)+張繍(騎将)+馬休(長駆)10000 霍去病(騎神)+韓信(強行)+英布(威風)10000 楽毅(心攻)+徐氏(キ計)+秦瓊(金剛)9000 周泰(水神)+劉曄(射程)+劉表(心攻)9000 馬岱(沈着)+石蹈(規律)8000 賈ク(連環)+貂蝉(傾国)+荀攸(百出)7000 馬鉄(補佐)+司馬朗(築城)8000 馬雲リョク(騎将)+王甫(待伏)+鄒氏(楽奏)7000 呉懿(補佐)+厳顔(弓将)+張既(親羌)8000 40日遅れで輸送隊楊氏1000 計94000で兵糧以外の補給なしで戦います。 四群各都市20000前後の兵がいますが 各都市に武将は3人~4人しか居ないのでおそらくいけるでしょう。 荊南四群攻略部隊が武陵の港に近づく頃には17名の孫堅軍の武将が武陵に入場 兵数は35000に(後に長沙より15000の増援兵が入城)孫堅の戟兵、朱然の弩兵、程普騎兵 陳武戟兵、黄蓋弩兵、もう一回程普騎兵の6部隊の迎撃部隊が出撃してきた。 先ずは孫堅の戟兵から急ぎ倒しにかかる。 また、迎撃部隊を賈クの連環+貂蝉の傾国で2部隊ずつ計4部隊を撹乱で混乱させる。 孫堅の戟兵撃破時に孫堅を捕らえたが漢室重視の将なので解放。 アイテム一定数越えたので左慈登場。馬騰の能力がちょいアップ。 迎撃部隊との戦いで霍峻、蕭何を捕虜にして登用。 9月11日武陵攻略 何人か孫堅軍の将を捕らえたので捕虜に厳白虎のみ漢室無視なので処断。 この戦いで94000いた兵数は73000になっていた。 11月1日気力を全快の120にして零陵攻略作戦開始。 天水で徴兵などをさせていた馬騰ら留守番の将たちに武陵内政をさせる 73000を11部隊に分け1部隊6500で出撃。 孫策戟兵、韓当槍兵、呉景弩兵が迎撃に向かってくる。 前回の武陵攻略戦の反省を生かし太鼓台を3設置して迎撃部隊の接近を待つ 孫策戟兵、韓当槍兵が隣接して接近してきたので賈クの連環+貂蝉の傾国で 撹乱一閃混乱させる。心攻を持つ楽毅、劉表を副将にした周泰の部隊で迎撃部隊を攻撃させる。 12月 黄権「霍去病将軍が陣中に没したと報告が入りました。 馬超「なに!?霍去病が‥‥‥」 黄権「霍去病将軍の部隊は副将の韓信が引き継ぎました、」 馬超「‥‥そうか‥‥‥俺と騎神で大暴れしていた仲だったのだが‥‥哀しいなぁ」 203年 曹操軍 河北は晋陽、襄平を残すのみ河北統一恐らくは後一年か 江東にも兵を繰り出し始めていた。 1月11日零陵攻略残兵71494 敵部隊がすぐに混乱してくれたことや 都市攻めを火計のみにしたことであまり兵を損なわずに済む。 3月11日桂陽攻略作戦開始 約70000で出撃。霍去病の部隊は張遼の副将をしていた馬休を主将にする。 馬休(長駆)+韓信(強行)+英布(威風) また、馬鉄は特技を補佐に変更。対する桂陽21000 長沙から孫堅軍の武陵攻略部隊が出撃してくる。 まだ内政途中で兵士数も1300しかいないが距離もあるので何とかなるだろう。 桂陽から孫堅槍兵、鄭成功槍兵が出撃してくる。 隣接してるので何時ものように2部隊一気に混乱していただきました。 5月桂陽攻略残兵69698 恐らくはまだ、長沙攻略を行ってないが荊南四群で一番楽な攻略戦だろう。 8月精鋭騎兵獲得。 一度研究したですが研究途中で武将が亡くなって失敗今ようやく獲得出来ました。 10月21日長沙攻略作戦開始 桂陽内政を行い少し間が空いてしまった。 11月 長沙攻略部隊が長沙から出撃してきた迎撃部隊と戦うなか 孫堅軍の柴桑より武陵攻略部隊が出撃。武陵には治安維持に将が二人いるだけだが、 まあ、距離もあるので長沙を攻略してからでも充分間に合うだろう。 204年プレイ開始15年目都市数は14武将87 曹操遂に河北統一都市数は21となり武将数は180となる。 そろそろ曹操軍と闘う時か‥‥‥ 1月1日長沙攻略これで四群全て獲得。 この四群制圧のお陰で 孫堅軍から陳慶之、鄭成功、孔丘等多くの人材を得ることができた。 孫堅軍を滅亡させようとすると柴桑、江夏、汝南、寿春のみ。 10月11日柴桑攻略作戦開始 馬騰(連戦)+韓信(競合)+朱桓(心攻)10000 馬超(騎神)+黄権(規律)+楊大眼(疾走)10000 馬休(長駆)+英布(威風)+陳慶之(白馬)10000 馬岱(補佐)+王累(運搬)+霍峻(不屈)10000 馬鉄(補佐)+凌統(掃討)+司馬朗(築城)8000 馬雲リョク(騎将)+徐氏(キ計)+鄒氏(楽奏)7000 荀攸(百出)+賈ク(連環)+貂蝉(傾国)8000 計63000馬一族で出撃。長沙から南のルートを使う 韓当騎兵、孫堅戟兵、黄蓋弩兵等が迎撃に出撃してくる。 205年遂に決戦 曹操軍 江東に軍を繰り出すが距離があるのでなかなか攻めきれない。 領地数はかわらず。武将数は212名となる。 馬騰軍 都市数14武将数96名 しかし、益州などこれから新しい武将が登場し始めるのであっという間に数が100越えるだろう 孫堅軍 防衛中の柴桑を合わせれば都市数4武将数29名と終わりが見えはじめてきたかな。 他江東に2勢力あるが 恐らくは後一年か二年でいなくなるような勢力なので割愛 1月11日曹操軍との同盟を破棄 在野で劉巴を得、3月は馬忠を得る。 2月21日柴桑攻略が続くなか武陵より江陵攻略作戦開始 ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)+凌操(連戦)12000 張遼(威風)+カク昭(不屈)+陳登(キ計)11000 楽毅(心攻)+秦瓊(金剛)+張繍(騎将)12000 呉懿(補佐)+高順(攻城)+石蹈(規律)11000 閻行(繁殖)+陳震(心攻)+鄭成功(水神)11000 張任(連戦)+王甫(待伏)+李カイ(機略)10000 周泰(水神)+劉曄(射程)+趙累(補佐)10000 厳顔(弓将)+張既(親羌)+劉キ(心攻)9000 計86000対する江陵は兵力33168 武将数は24名呂布、夏侯淵、于禁、曹真となかなかの顔触れ。 さて、これからの曹操との戦いは新たな縛りルールの本行いたいと思いますので 新しいページを作ります。 張飛の人かな? -- 名無しさん (2014-01-12 18 40 54) ↑はい、そうです。前回に続き今回もお付き合いいただき有り難うございます -- 筆者 (2014-01-13 04 06 57) 名前 コメント
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前回の縛りの項目に「雍闓の全能力を90以上にする」は不可能と判明したため変更します。申し訳ありませんでした。コメントありがとうございました。また私のミスなどありましたら。コメお願いします。 縛り変更点 ①雍闓は限界の知力84政治86を目指します。 ②軍師は李恢固定 ③初期メンバーは前線に出す。 以上です。 251年6月11日~251年12月21まで 建寧渡付近 孟獲軍陣営 武官「間もなく建寧です」 孟獲「わかった。お前らぁ~飯は食っとけよ!」 文官1「物見からの報告によりますと敵は、軍事施設を中心に陣を張っている模様です」 文官2「持久戦に持ち込みますとその 飯 (兵糧)が尽きてしまいますな」 孟獲「なにぃ本当か?ならば進軍開始!」 武官「ははっ(必死だ)」 雍闓軍陣営 伝令「報告!孟獲軍が動きました孟獲自ら10000の戟兵で進軍中です」 李恢「来たか。ならば我が秘策(攪乱)を見舞わせてやろう!フフフフ」 雍闓「(こいつ楽しそうだな)おお、頼むぞ李恢!。全軍!ワシらも 戦闘の達人 となろうぞ!」 諸将「おおー」 朱褒「ぉぉ-」 高定(一人声小いっさっいのがいたな) 李恢「これでも食らえ!!」 孟獲「くっこれでは部隊を統制できぬ」 雍闓「よし!全軍我に続け!」(突出し) 孟獲「グワッ」 鄂煥「よし!我らも李恢のマネしよっと」(攪乱) 祝融「チイやられたわ」 文官1「もしや・・我らは謀られたのでは?」 孟獲「何?どういうことだ?」 文官1「我が軍の後方には、祝融様や忙牙長様の軍勢が集結していますが、渡は一本道です」 文官2「なるほど、要するに雍闓は、この渡での足止めを企んでおりますな。敵は軍楽台で気力は余り減らないので戦法や計略の使い放題です」 孟獲「よし。では部隊を後方へ」 武官「駄目です後方の祝融軍も混乱中です。それに我が軍も混乱していて・・とても動かせる状況ではありません」 孟獲「ええいなんてこった」 雍闓軍陣営 李恢「フフフ我が計略成功したり」 雍闓「おお最早我軍師は 計略の達人 ではないか」 李恢「おりがたきお言葉」 このようにすれば孟獲軍も倒せます。筆者は、雍闓&朱褒の一騎打ちでで忙牙長を捕えました。 ちなみにアンケートですが、筆者は余り時間はないので1日に少ししかしません。(ゲーム的な意味で) そこでですが、ちまちま短い間隔(文章)で更新か、どんと4日ぐらいかけて作るの(長文)とどちらがいいですかね?? コメお願いします(参考にしたいので) ではでは 8月11日雍闓軍牢獄 雍闓「忙牙長殿そろそろ我が軍に降りませんかね?」 忙牙長「いや、私の主は孟獲ただ一人!」 李恢「殿お話が。こちらへ」 雍闓「なんだ?」 李恢「我が軍は現在行動力が非常に少ないです。なので1ターンの行動力は約40です。それに捕虜の忠誠もなかなか下がりませぬ」 雍闓「確かにな、それで?」 李恢「はっ[符節台]を建ててはいかがでしょうか?」 雍闓「その[フセツダイ]とはなにか?」 李恢「はっ[符節台]とは、我が軍の行動力が+5増えます。さらに捕虜の忠誠も下がりやすくなります」 雍闓「ほほう一石二鳥ではないか!早速実行せよ」 李恢「ははっ」 9月21日軍楽台完成 雍闓「おお完成だ今んとこ忙牙長の忠誠は95だな。一体どこまで下がるのかな?」 李恢「楽しみですな」 10月11日 忙牙長の忠誠は90に 李恢「殿!今なら朱褒殿ならば忙牙長の登用ができますご命令を!」 雍闓「よし!朱褒!行ってこい」 朱褒「ははっ必ずや登用してまいります」 文官「朱褒殿が忙牙長殿の登用に成功しました!」 忙牙長「俺が加われば雍闓軍にとって千人力ですな!!」(確かこんな感じ) 雍闓「おお!符節台の力恐るべし(主は孟獲じゃなかったのか?)」 筆者「今は一人でも頭数がほしいところなので助かる。ナイス朱褒!」 李恢「どさくさまみれてしゃべったな・・お主」 11月1日 雍闓軍評定(コマンドの「評定」ではない、架空の「評定」です) 雍闓「さて全員揃ったな。皆聞け!恐らく孟獲は再び侵攻して来るだろう。さらに北からは、鄧艾も漁夫の利を狙っている。1年耐えれば、「雲南」へ侵攻できる。まずは、防備を固めようぞ!」 諸将「おおー」 朱褒「ぉぉ-」 高定(コイツまた声が小さいなぁ~) タッタッタッ(足音) 鄂煥「殿!ハァハァ」 李恢「あ、鄂煥殿!遅刻ですぞ!」 鄂煥「すまん!あ、それよりももっと重大な情報が!」 雍闓「どうした鄂煥?」 鄂煥「おう!それがこの建寧に 張嶷 という人物が流れてきたぞ!」 李恢「おお能力All70以上の良将ではないですか(しかも相性68と縛り条件もおkではないか)」 雍闓「李恢よ,登用はだれが良いと見る?」 李恢「私と、殿自らかと・・」 雍闓「分かった。ワシ自ら出よう」 失敗!!! 結局登用したのは12月1日 因みに孟獲軍が来てます(例の場所まで来たら迎撃します)。鄧艾は江州で劉焉と潰し合い中です 文官「李恢様が張嶷様の登用に成功しました」 張嶷「雍闓様の覇業のお手伝いをいたそう!」 雍闓「よし登用出来たな」 李恢「安心はまだできませんな。またも孟獲軍が侵攻してきてます。」 高定「しかし先と同じ方法で迎撃すれば・・」 雍闓「そうだな。ハハハ」 しかしこの考えが浅いことと諸将が思ったのは20日後であった。 李恢「3回目に続く!」 雍闓「筆者のミスやアンケートの意見のコメ頼むぜ」 高定「短くてすいません(文章が)」 張嶷「某の初陣はどうなるのか楽しみですな!!」 鄂煥「最後が気になるな・・」 つづく
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正直戦になんてでないだろうから、彼女のカットインはいらないだろう、とも思う。 魅力以外低めなので、ある程度功績を与えたら廟・遺跡発掘にかりだしてもいいだろう。 -- (名無しさん) 2010-05-31 23 02 46 気力回復手段の無い水上での楽奏はとても重宝する。 どうしてもカットインが見たいなら、周ユの官職を外して彼女を武官にすえるとかw -- (名無しさん) 2010-05-31 23 22 30 S2だったら未婚なので、固有カットインのないX将系と結婚させて彼女の官爵を上にしとけば毎回見れるぞ。 近場で確保しやすい陳武・蒋欽がお勧め。知力のカバーにもなるし。 本人にしてみれば、望まない結婚だろうけどw -- (名無しさん) 2010-06-19 22 31 25 周瑜とコンビで組む場合深謀も相性がいい。 孫策に槍で混乱させて、火計で敵をやけば、屍がゴロゴロと…。 楽奏のままでも十分相性は良いんですけども -- (名無しさん) 2010-09-21 09 27 37 ↑あほか。周瑜で火計使うなら、なんで深謀がいるんだ。 -- (名無しさん) 2010-09-21 17 47 42 深謀があると、火が消えにくくなるかな。 まあ、別にそれは他の武将でもいいので、楽奏を潰すのは勿体無いけど、あほはやめましょう。 -- (名無しさん) 2010-09-21 18 30 34 ↑補足ありがとうございます 言葉足らずでしたね、この組み合わせにすると、 敵をほぼ負傷可能という点、それによって槍将、弓将と組めば 一部隊で嵌める事も可能です。 混乱がとけたとしても、周瑜の知力なら負傷相手では問題ないでしょう。 仮に周瑜が負傷しても夫婦イベントで、もしかしたら回復するかもという事です 上にも書きましたが周瑜とコンビ限定になってしまいますが…。長文失礼しました -- (名無しさん) 2010-09-22 09 39 06 なんだこのキモ過ぎる画像・・・ -- (名無しさん) 2011-05-15 21 31 44 ↑×2余計に意味がわからないんだけど、どうして火神+深謀でほぼ負傷可能になるの? 火計がクリティカルになっても持続するだけで負傷率は変わらないし、負傷しなきゃ槍将や撹乱で確実に混乱に出来ない。 あと勘違いかもしれないけど、火神って単体で火計クリティカルにならなかったっけ。 -- (名無しさん) 2011-05-16 20 15 26 ↑火神にクリティカル効果はないね、虚実と一緒。 -- (名無しさん) 2011-05-16 20 20 07 ↑x4に関しては、他の部隊で混乱させたらって意味じゃないかな? (それによって槍将、弓将と組めば )はちょっと意味がわかりかねますが たぶん、運用法は他の部隊で混乱させて、この部隊で深謀を生かした単部隊での嵌めだと思う 火計して混乱切れたら錯乱の繰り返し -- (名無しさん) 2011-05-16 21 14 39 画像は無双小喬を三国志風にしたものかな? -- (名無しさん) 2011-06-19 00 23 11 あれ?あの画像無くなってる。 -- (名無しさん) 2011-06-19 10 50 53 あんなもんいると言うのは厨 -- (名無しさん) 2011-06-19 12 50 48 データ交換広場に同じのあるからここには必要ない -- (名無しさん) 2011-06-19 12 56 51 それに12王元姫はすごいぞ 違うのは、髪の色だけだ… -- (サタン(補助通貨単位)) 2012-03-14 08 51 49 そういえば、 この間久々に、「決戦Ⅲ」をやったのですが、 「秀吉」の初登場シーンに、無双の(時期的にⅢかⅣ)の小喬と周瑜の人形が、 行商をしていた「秀吉」の売り物のなかにありました…兵卒が運んでました。 すいません…(笑)もないこと書いて…石、投げないでください… -- (麟華) 2012-03-31 03 37 09 可愛いは正義って言うぢゃない! -- (名無しさん) 2012-04-04 10 03 08 正義であり大義です!! 同志よ!! 石が来るかと思ったら同意とは、 嬉しいです。 -- (麟華) 2012-04-04 10 14 00 統率・武力がかなり低く夫の周瑜と組ませてもいいが呉には義兄弟の孫策がいるし、一応百出持ちもいるのでやっぱり内政員か -- (麟華バカ) 2014-12-28 21 17 54
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<ここまでのまとめ> 梟雄董卓に率いられた騎馬軍を用いて、何人の武将を殺せるのかをテーマにプレイ日記を書いています。 縛りは以下の通りです。 1、捕まえた武将は一発登用に応じない限り基本的には処断する 2、しかし相性が125~25の武将は3人まで捕虜にでき、1度だけ登用を実行可 3、相性が125~25の武将で登用に失敗した場合は即解放し、再び捕らえた場合は即処断 4、褒賞は半年に1度で、裏切った武将は優先的に捕獲を狙い、捕らえたら即処断 5、主将にはできる限り李儒、華雄、徐栄、李傕、郭汜、樊稠、胡軫、李粛らの初期メンバーを使う 6、鍛冶はたてない(兵器は木獣と井闌1台ずつ使用中、増やす予定はなし) 251年からここまで7年の間に殺した武将は60人で、以下の人たちが封神台ならぬ封将台に入っています。 (犠牲者リスト、すべて処断or戦死した順) 廬植、王匡、馬休、馬岱、馬騰、馬超、馬鉄、馬雲緑、楊氏、韓遂、龐徳、龐会、梁興、張横、朱儁、皇甫嵩(戦死)、成宜、楊秋、李堪、王伉(戦死)、張嶷、楊柏(戦死)、馬玩、羅憲、程銀、侯選、秦宓、呂凱、楊任、楊松、陳寿、陶謙、廖立、董承、何進、呉巨、張松、郭攸之、劉諶、劉岱、王渾、向寵、荀顗、荀勗、王業、藩濬、閻行、馮習、李氏、司馬昭、司馬伷、孔伷、樊建、傅士仁、濮陽興、毌丘甸、楊肇、馬謖、司馬師(戦死)、申儀 (指名手配) 何晏、王韜 もし、みなさんのお好きな武将、お気に入りの武将が入っていたらごめんなさい。また、これからさらに増えていくかもしれませんが、ご諒解くださってお付き合い頂ければありがたくおもいます。 (董卓軍武将名簿) 董卓、李儒、李傕、郭汜、華雄、徐栄、樊稠、胡軫、董旻、牛輔、李粛(明鏡)、董白/成公英、陸凱、楼玄、丁儀/張球、張承、胡遵、閻圃、張衛、張魯、徐質(猛者)、費耀(猛者)、楊昂(猛者)/胡車児、李通、于禁、邵悌(威圧)、張繍、賈詡、鄒氏、張済/桓範、蘇飛、国淵、馬邈、韓忠、張燕、歩隲、諸葛誕、蔡琰、左奕、崔林、董昭、夏侯玄、賈充、太史慈、太史享、温恢 第2部 「中原に鹿を逐う」 第4回 前回は「この際プライドは抜きだ」と董卓忠臣七将(李、郭、華、徐、樊、胡、李粛)ら以外を部隊主将に使ってしまったので、今回はできるだけ自重していきたいと思います。 長安城にて・・・ 董卓「皆の者、ご苦労であった。ようやく我らはここ長安にて献帝を擁立し奉ることができた。わしも漢朝の臣(パラでは漢室普通)であるからには、漢の威光(わしの威光)を天下に示さねばならん」 李郭華徐樊「ははーっ」 董卓「だが、外に威光を示すにはまず内が確かでなくてはならん。胡軫、樊稠、牛輔の先日の失態はどういうことだ。司馬懿一部隊にいいようにされ、一度取った長安を失うとは何事であるか」 胡軫「はっ、畏れながら申し上げます。叛将の閻行についてはともかくも、我らは司馬懿隊を壊滅させ、司馬懿にも重傷を負わせましたがあと一歩のところで逃げられたのでございます」 樊稠「左様にござります」 牛輔「おう」 董卓「あと一歩で逃げられたら何も変わらないではないか。そんなことだからお主は統率が70(育成しました)しかないのだ」 胡軫「ははっ・・・(くっそ、我らは司馬懿には勝ち、後詰にやられただけだというに・・・)」 董卓「もうよい、それより李儒よ、今後はいかがいたすのじゃ」 李儒「は。ではまず全体を概観していきましょう。」 董卓「ふむ、申せ」 李儒「はい。まず司馬懿軍は洛陽と宛をもち、当面の敵となります。その先には曹操軍が陳留、許昌、汝南、寿春を支配しております。さらに東は呂布軍が小沛、下邳、北海、濮陽を支配しております。河北は鄴を袁紹軍が維持するのみで、あとはすべて公孫瓚の支配下です。一方で南は劉備軍が新野、江夏、襄陽、江陵、永安をもつ大勢力となっており、荊南は意外にも金旋軍が制覇いたしました。揚州は江南3都市を王朗が支配しており、他は廬江を袁術が、柴桑を孫堅が保つのみです。また益州ですが、南の2都市を孟獲軍が、江州と成都を鄧艾軍が支配しており、我が軍と同盟中の鍾会軍は梓潼のみで、鄧艾軍に押され気味のようです」 董卓「ほう、鍾会が倒れたら困るのではないか。唇やぶれて歯さむしと言うぞ」 徐栄「それでは、それがしが長駆して救援に向かいましょうか」 李儒「いえ、よいのです。鍾会は我らとも相性が近く、さらに鄧艾を嫌悪しております。また鄧艾軍も相性的に同盟できぬ相手ではありません」 李郭華樊「ど、どういうことだってばよ・・・」 李儒「つまり静観した後に鍾会軍の将を加えつつ、鄧艾軍と同盟すればよいのです。鄧艾軍も周囲の劉備や孟獲とは敵ですから、その上に我らまでは相手にしたくないでしょう」 董卓「なるほど、妙案じゃのう。ではそういたそう」 李儒「我が軍はまず洛陽を制し、力を蓄え、それをもって中原と河北を制覇しましょう」 董卓「うむ、中原や河北は騎馬が思う様に使えるしのう。まずは司馬懿軍の相手からじゃな」 李儒「ですがその前に長安の内政や軍備でございます(チラッチラッ」 李郭華徐樊「ビクッ・・・・ドドドド、ズキュゥーン!」 李儒「フフフ、ではまいりましょう。・・・あ、胡軫殿は新入りの方々に城内の案内でもしてあげてくだされ」 胡軫「わ、わかりました・・・・(くやしいっ、でも従っちゃうビクンビクン)」 というやり取りがあったと思うので、今回の我が軍は「内政」、「司馬懿軍撃破」、「中原進出」を目標にしていきます。 257年1月 我らが董卓軍は長安および上庸でしっかりと腰を据え、内政に取り掛かった。 さらに盛んに能力研究や武将育成も行って、董卓様の愛臣たちを育成していた。 賈詡が加わったとはいえ、開発に時間がかかることはいまさら言うまでもない。 また、上のようなやり取りがあったせいか、途中で上庸の胡軫らの忠誠がかなり下がっていた。流言をやられたのだろうが、1月と7月にしか褒賞はできないので彼らを信じて我慢する。 ところで、今までプレイヤーは弩兵軍団が最強だと思っていた。反撃もなく、火矢の追加ダメージ、補佐の発動などの点で優れているからである。 しかし今回の集団騎馬戦法もなかなか圧巻の攻撃力をもつことに気付いた。 騎兵という元々の攻撃力の高い兵科で突撃を繰り返して戦死や一騎打ちを狙いつつ、敵を兵器などの本隊から引き剥がすことができ、高い移動力と合わせて非常にスムーズな侵攻ができるからだ。 そして太鼓台の有用性にも改めて気づかされた。 今までは軍楽台を優先的に建てていたが、今回のプレイで騎兵と太鼓台の相性の良さにとても驚かされた。 逆に騎兵の防御力の低さにも気付いた。 これはまぁ愛用している武将たちのせいという理由もあるかもしれないが、相手の戦法を受けた時のダメージが意外と馬鹿にならない。 突撃という戦法の都合上、毎回どうしても相手と隣接することになるためでもあるだろう。 さて、こんなことを考えながら257年は内政と軍備に追われて暮れていった。 時たまの上庸への劉備軍からの小勢の相手以外は全く兵事がなかった。 この間に捕虜の桓範と蘇飛、在野の黄巾将韓忠、馬邈、そして楼玄からの推挙により「屯田」もちの国淵を登用することに成功していた。 こうして董卓軍の将は38人となった。 安定城は「威圧」をつけた邵悌に任せ、天水は張承、武威は董白ちゃんに守らせている。 漢中は閻圃と馬邈をおき、彼らが後方で輸送と治安を担当する。 上庸には徐栄、李傕、郭汜、李儒、胡軫など忠臣、いや中心メンバーがいるが今回は留守番。 華雄や張繍、賈詡といった面々が兵力11万となった長安で出撃命令を待っていた。 258年1月 出撃準備は整ったが、技巧ポイントが5000たまったので、先に技巧研究で精鋭騎兵を開発してから出撃することにした。 期間は90日であるので、4月まで出撃を待つ必要があった。 4月。いよいよ出撃である。 最初の目標、潼関は名将と名高い羊祜が7000の兵を率いて守っていた。 長安から董旻の井闌隊が出るも攻撃位置までわずかに届かないので、しっかりと護衛の騎馬隊をつける。 華雄+李粛(明鏡) 8000騎、樊稠+国淵 7000騎、張繍+徐質(猛者) 7000騎で董旻+丁儀の井闌隊7000を守らせつつ、関の前に太鼓台を建てる。 そこへ羊祜配下の驍将張燕が騎兵3500で突っ込んできた。 ここに第3次対司馬懿戦の幕が切って落とされた。 こちらの一番手は張繍である。彼の突撃と共に太鼓が鳴り響く。 徐質「敵将みつけたぞ、逃げるなかれ。勝負だ」 張燕「おう、こわっぱが。張飛燕といわれるわしの槍をうけてみろ」 両将の武力はほぼ互角なので非常に良い一騎打ちとなった。 だがしかし、互いのゲージが4分の1くらいになったとき颯爽とあの男が現れる。 張繍「徐質殿、ここはそれがしにお任せあれ」 張燕もさすがに二人目は相手にしきれず、張繍に捕獲されてしまう。かっこいいです張繍さん。 捕らえた張燕は相性が8なので捕虜にする。 はじめから潼関に7000で羊祜が籠っていたら苦戦したであろうが、今は3500に減っている。 董旻隊の攻撃によって被害を受け、羊将軍の奮闘もむなしく潼関は落ち、羊祜は歩隲に守られて洛陽へ落ちて行った。 次なる障害は孟嘗君で有名な函谷関である。 ここは董卓様と因縁深いあの男が守っていた。そう、ご存知、王允である。 どうやら何進軍滅亡時に関の守将で外におり、捕獲されずそのまま司馬懿軍に身を寄せていたようだ。 だが函谷関の守兵はたった3000で4隊の攻撃により1ターンで落ちてしまう。王允は捕らえられ斬られてしまった。 董卓軍はあっけなく武関、函谷関を抜いた。 函谷関と洛陽の間には陣が二つ防衛線のように並んで建っており、洛陽城には40000の兵がいる。 激しい戦闘が予想されるので、こちらも長安から本隊を繰り出す。 董卓+張球 12000騎、于禁 6000騎、賈詡+胡車児 6000騎、張済+楼玄 6000騎、李通 6000騎、張衛+桓範 6000騎 という大騎馬軍団が先鋒の4隊に加わって函谷関を越える。 洛陽からももちろん迎撃があり、大乱戦となった。 そう、狭い土地に密集せざるをえない我が軍に敵は火球をうってきたのだ。 これによってあたり一面は火の海となったが、こちらも負けじと突撃を敢行した。火と騎馬が揃う戦場は戦死日和である。 258年6月 敵は4000~6000の部隊がいくつも出てきていた。炎の中で両軍がぶつかる。 突撃を開始して2ターン目、最初に戦死したのは敵将の陳到であった。彼は火で負傷していたところに華雄将軍の突撃を受けて死んだ。 次に死んだのは毌丘倹で、彼は猛者の効果で負傷していたところに火が重なって死んだ。 緒戦で2将を失った司馬懿軍では、陳到隊は副将の袁遺が引き継ぎ、毌丘倹隊は顧譚が引き継ぐ。 が、やがて両隊とも壊滅して共に捕獲され、斬られた。 こちらは逆に7月前で忠誠が下がっていた丁儀を司馬懿軍に引き抜かれてしまった。丁儀のバカめ。彼もリスト入りである。 董卓軍は騎馬で押しに押しまくったが、司馬懿本隊と司馬攸隊が強かった。狭くて一斉が使えないので、突撃と騎射でちまちま削って倒した。 結構な被害を受けつつも洛陽城に取りつき、ようやく10月に陥落させた。 この時ふと気づいたことがある。洛陽は賈詡でとどめをさしたのだが、内政施設が今までで一番残ったのだ。 ここまで政治の低い武将たちで城を取っていたので違いに気付かなかったが、奪取後に残る内政施設数は武将の政治力と関係あるのだろうか。 さて、処断タイムである。落城時は10人以上いたはずだが全ては捕らえられなかったようだ。司馬懿や羊祜などを逃がしている。 捕獲したのは以下の通り。 歩隲、臧覇、何晏、司馬攸、司馬炎、諸葛誕、蔡琰 登用に応じたのは臧覇だけで、相性から歩隲、諸葛誕、蔡琰の3人を捕虜にする。先に捕らえていた張燕は戦闘の間に既に登用していた。 そして、いよいよその時が来た。ずっと狙っていた裏切り者の何晏である。彼に対してだけは気持ちよく一番右の処断ボタンを押せた。 また司馬攸と司馬炎も斬った。 司馬懿軍は宛を残すのみとなり、董卓様はさらに官爵が進むことに期待しつつ、この年は暮れていった。 259年1月 はっきり言ってこの年には書くことがほとんどない。なぜなら洛陽の内政しかしていないからだ。 敢えて言えば1月に張魯が遺跡を見つけ、李傕の騎兵適性をSにしたことと、3月にも張魯が廟を見つけて、胡軫に「疾走」をつけられたこと、捕虜を登用したことの3つくらいである。 だがこの間に上庸で劉備軍の主力部隊との戦いがあったので一応書いておく。 攻めてきたのは、 劉備隊弩兵11000と趙雲隊騎兵6000、関羽隊槍兵6000、関興隊戟兵6000、王平隊衝車6000 という主力でそれぞれ副将が1~2名ついていた。なんと今回は宛を通って陸路でやってきたのだ。 迎撃に出たのは李儒、李傕、郭汜、徐栄、胡軫である。最初は負けると思っていたが、火球と太鼓台と「疾走」を用いて対抗した。 それでも各部隊共に兵を半分以上失い、李傕と李儒が関羽隊に捕らえられるという事態にまでなったがなんとか撃破できた。 「疾走」+「猛者」の胡軫+楊昂のおかげだった。王平隊にいた左奕という武将を捕獲し、登用した。 また、柴桑の孫堅軍が劉備軍に滅ぼされていた。西の鍾会軍はまだなんとか存続しているようだ。 董卓軍の洛陽ではまるまる1年以上かかって内政と軍備が終わり、次の宛攻略に向けて動き出した。 260年1月 先ごろの戦で李傕と李儒は関羽からの一騎打ちの申し出を(なぜか)受け、負けて捕まったが、胡軫の活躍もあり、解放された。 その二人がほうほうの体で洛陽に戻ってきた。配下にやさしい董卓様は二人に名誉挽回の機会を与えた。 董卓「貴様ら、何をやっておるか。勝てない一騎打ちを受け、しかも一撃で負けるとは」 李傕「ははっー、面目ございません、董卓様」 董卓「李儒のおらぬ間、いろいろと困ったので軍師は賈詡に任せてしまったぞ」 李儒「ははっ・・・(ぐぬぬぬ・・・今に見ておれ)」 董卓「まあよい、二人とも官職は元の通りにいたすが、その前に命令を下す」 李儒「なんでございましょう」 董卓「賈詡よ」 賈詡「は。お二人にはただちに洛陽から武関に出て、宛を目指して出撃していただきます」 李儒「ほう、なるほど、誘引のはかりごとですな」 董卓「さよう。おぬしらが敵を誘っている間に上庸の部隊で電撃的に宛を落とすのだ」 李傕「はは。かしこまってございます」 李儒「ですが、我ら二人では・・・」 董卓「わかっておる。暇そうな奴をつけるから安心せい」 李儒「ありがとうございます・・・(また脳筋の大将か・・・)、では行ってまいります」 というわけで、武関から侵攻し、宛へ「釣り」を仕掛けることにした。 3月、李傕+李儒8000騎、樊稠+国淵7000騎、賈詡+胡車児6000騎で武関を取り、そのまま宛に侵攻する。 宛には40000がいて、大軍が迎撃に出てくる。 司馬懿隊を筆頭に、太史慈隊、張梁隊、呂虔隊、楊済隊などである。こちらの3隊は宛の北の細長い森に入り敵をおびき寄せる。 同時に、既に上庸から出撃して待機していた郭汜の木獣隊、徐栄や胡軫の騎兵が境を越え、宛城に襲い掛かった。 敵も気づき反転する。しかし誘引部隊は追撃しようにも目の前に太史慈隊と張梁隊の槍兵部隊がいて、地形も森のため突破できない。 それでも徐栄隊が楊済隊を撃破し、主将の楊済を斬った。 同じころ、洛陽には陳留の曹操軍30000が攻めてきていた。軍容はというと、 夏侯淵隊 騎兵7000、程昱隊 戟兵6000、典韋隊 槍兵6000、許褚隊 槍兵6000、曹洪隊 弩兵6000 という精鋭で、こちらも洛陽を落とした主力で迎撃した。 それでも向こうの方が主将の質はやや上なので董卓軍にもそれなりの被害が出て、軍備を改めて行う必要が出てしまった。 洛陽の東は我が軍にはやや戦いにくい場所だったことも大きい。 この戦いでは程昱、その副将の夏侯威、典韋の3将を捕らえ、処断した。 宛攻めに話を戻す。 6月終わり。城に取りついた郭汜らがもりもりと耐久を削っていく。 そしてついに我が軍は宛城を落とし、ここに司馬懿軍は滅亡した。城内の将はことごとく捕らえられ、引き出された。 ちなみにとどめは胡軫がさしたが、残った内政施設は1つであった・・・orz さて、恒例となりつつある処断の時間である。捕獲された司馬懿軍の武将は以下の通り。 司馬懿、司馬孚、司馬朗、司馬望、周旨、羊祜、張春華、王淩、辛毘、呂虔、高堂隆、崔林、董昭、夏侯玄、王祥、王惇、何植、劉辟、そして王韜、丁儀 今回は誰も登用に応じてくれなかったので、3人を選んで捕虜にすることにした。 良将が多いのでとても悩む。相性の数値から崔林、董昭、夏侯玄を捕虜とした。 なので司馬懿、司馬孚、司馬朗、司馬望、周旨、羊祜、張春華、王淩、辛毘、呂虔、高堂隆、王祥、王惇、何植、劉辟を斬り、裏切り者の王韜と丁儀も処断した。 また、司馬懿軍は滅亡時に出陣武将が6名いた。張梁、杜預、賈充、太史慈、太史享、温恢である。このうち温恢、太史慈、太史享、賈充らは領内にいたので、攻略後、先ほどの捕虜の3名と合わせてすぐに登用した。 強制的に在野になった司馬懿軍の武将を登用できてちょっとずるい気もするが、今回は内政官をたくさん登用することができたので、今後の宛の内政は早く整備できるだろう。 董卓様は五官中郎将となり、西の覇者として天下に威光を示すこととなった。 今回の犠牲者 29人 合計89人 王允、陳到(戦死)、毌丘倹(戦死)、袁遺、顧譚、何晏、司馬攸、司馬炎、楊済、程昱、夏侯威、典韋、司馬懿、司馬孚、司馬朗、司馬望、周旨、羊祜、張春華、王淩、辛毘、呂虔、高堂隆、王祥、王惇、何植、劉辟、王韜、丁儀 指名手配 0人 (何晏、王韜、丁儀ともに処断済み) 加入武将 17人 桓範、蘇飛、国淵、馬邈、韓忠、張燕、歩隲、諸葛誕、蔡琰、左奕、崔林、董昭、夏侯玄、賈充、太史慈、太史享、温恢 第5回 前回、外様武将の起用は自重したいとか言っておいて結局ほとんど変わりませんでした(汗。 すみません。どうしても騎馬Aもちの戦力が足りないのです。 しかし董卓譜代の武将は愛用しているので無事成長中です。 洛陽にて・・・ 董卓「ふうむ・・・」 賈詡「おや、いかがなされました、董卓様」 董卓「おう、賈詡か。いやな、だいぶ我が軍の武将も増えてきたから忠誠維持や配置が面倒でな」 賈詡「なるほど。しかしこれから支配都市が増えることを考えると頭数は必要でございます」 董卓「うむ、そこでじゃ。これからは攻め取った城はできるだけ内政をしない方向でいく」 李郭樊「おおっ・・・(ザワザワ)」 董卓「必要な場合を除いて人をおかず、進軍の駐屯地としてのみ使うのじゃ」 賈詡「それなら今くらいの頭数でも足りましょうが、出陣中の守りはどうするのです」 董卓「うむ、そこには守りの将兵もおかず、空城にしてしまうつもりじゃ」 賈詡「すると敵軍が城を簡単にとってしまいますぞ」 董卓「だがな、すると敵はいちいち城に武将を入れて開発しようとするじゃろう」 賈詡「なるほど、そこを一網打尽にして敵軍を弱体化させてしまうのですな」 董卓「さよう。1度の出撃で2城を落とし、2倍の武将を捕らえることができよう」 華雄「おお、戦まつりでございますな。さすが董卓様」 董卓「そうじゃ、戦まつりの捕獲まつりじゃ」 賈詡「ですが、人員については後方都市の治安維持要員と水軍要員は今より数が必要でございます」 董卓「そうか、わかった。ではもう少しだけ登用する必要がありそうじゃな」 賈詡「また、金や兵糧の生産、輸送を考えると宛は開発する必要がありましょう」 董卓「そうじゃな、南は宛と襄陽くらいは内政が必要そうじゃな」 賈詡「では参りましょう・・・(おや、李儒殿がいないな)」 そのころ李儒は上庸近くの港から漢水の流れを睨んでいた・・・ 李儒「ううむ、おのれ賈詡め。いまに見ておれ・・・」 胡軫「おやおやおや、これはこれは前の軍師の李儒殿ではありませんか。こんな所でどうなされた」 李儒「こ、胡軫殿か・・・(くそ、こいつめ・・・)、わしは殿から上庸の守りを承っておるのだ」 胡軫「左様でしたか。まあ港を劉備軍と交代で出たり入ったりするだけの簡単なお仕事ですしな」 李儒「くっ、貴殿こそ最近はどうしておるのだ」 胡軫「私ですか。私は先ごろ董卓様に疾走を付けて頂いたのでその試し走りににきているだけですよ」 李儒「さ、左様か(疾走とはなんと良い特技を・・・)」 胡軫「では私は新野攻めの準備で忙しいのでこれで失礼する」 李儒「くっ、くぅ・・・私だって徴収という珍技を、って上庸じゃ意味ないか・・・」 というやり取りがあったので、これからは「内政を控えめにする」ことと「登用は相性だけでなく、慎重に」決めることにします。 そして「遠征して、連戦」していくことにします。 261年1月 さて、だまして悪いが、この年もほとんど書くことはない。 宛の内政と軍備、数人の武将の登用、上庸で劉備軍とかるく攻防戦をして敵将関彝を討ち取ったくらいだ。 新たに登用した武将は在野にいた張梁、杜預、楊阜という良将3名と「運搬」もちの孫仲、鄧茂、韓徳の3人、さらになぜか適性がオールAになってる張闓である。今回と前回で登用した武将の質は良いと言えるだろう。 今更気付いたが、董卓の相性1の周辺にはろくな武将がいない。特に政治の高い武将がいないので本来は魏や呉の武将を使うしかない。 けれど王韜や丁儀の二の舞はしたくないので考えて登用しないといけない。 262年1月 内政もひと段落つき、有能で信頼のおける武将を獲得した董卓軍は再び侵攻を開始した。 第一目標は陳留である。洛陽から次々と出撃し、井闌部隊は虎牢関から出撃させる。 こちらは毎度のことであるが騎馬で、軍容は、 先鋒 張繍+徐質+鄒氏9000騎、華雄+李粛10000騎、太史慈+太史享(連戦)+桓範8000騎 本隊 董卓+張球12000騎、董旻+歩隲 井闌9000、張燕+国淵8000騎、張済+蔡琰8000騎 後詰 于禁7000騎、成公英+馬邈(待伏)6000騎 (この後詰については後述) というもので先鋒3隊は騎馬適性がSである。 陳留城は曹操の股肱の臣夏侯淵が20000ほどで守っている。その夏侯淵を筆頭に迎撃軍が出てくる。 夏侯淵 騎兵、郭淮 弩兵、楽進 槍兵、李典 戟兵などがでてくる。 郭淮隊と楽進隊の副将には「言毒」もちの橋瑁と陳珪がおり、結構手間取ってしまった。 敵部隊はなかなかの精鋭なのでこちらも被害をうけつつ突撃で迎撃軍を蹴散らした。 夏侯淵と副将の夏侯恩を斬り、郭淮、楽進、李典の3将を捕虜にする。 そのまま曹洪の守る陳留の城を落とし、籠城していた武将たちを捕らえた。 曹洪、夏侯和、夏侯恵、傅巽、橋瑁、陳珪を引き出して斬った。 本当はもっと武将がいたのだが捕まらず、逃げられてしまったのだ。 董卓軍本隊が陳留城を攻めていた頃、第2師団とも言える宛城の徐栄率いる軍団は新野攻めを開始していた。 劉備軍の新野城は老将黄忠が45000で守っていて、宛も先ごろの戦いの損耗を補充して60000である。 このうち6000を留守に残して全7部隊で出撃した。 先鋒 胡軫(疾走)+費耀(猛者)8000騎、樊稠+左奕(連戦)+温恢8000騎、張梁+賈充6000騎(←反則か) 本隊 徐栄+楊昂(猛者)+陸凱9000騎、郭汜+楊阜 木獣8000、李傕+韓徳+杜預9000騎 後詰 賈詡+張闓 6000騎 という軍勢で、留守は臧覇に任せた。 劉備軍迎撃隊とはいわゆる博望坡での戦いになった。 黄忠の弓兵、徐庶の槍兵、劉封の槍兵、鮑三娘の騎兵、呉蘭の戟兵、雷銅の戟兵などの35000と正面からぶつかる。 博望坡は森が多く突撃が使えないので先鋒部隊はじりじりと宛領の平地まで下がって戦った。 このため緒戦で結構な被害を受け、黄忠や劉封の戦法に苦しんだ。 しかし新参の張梁隊が必殺の「妖術」を放ち、そこからの「猛者」突撃で一方的に敵部隊を撃破していった。 あわれ劉備軍はこの戦いで鮑三娘、徐庶、雷銅、呉蘭の4将を失い、副将の朱異と毌丘秀が捕虜になった。 ほうほうの体で逃げ帰った黄忠らも必死の抵抗をするが新野城はあっけなく郭汜隊によって落とされた。 新野で捕らえたのは劉封、劉琦、鄧芝、陳震、謝旌、留賛で、謝旌と留賛を一発で登用できた。 なお、先に捕らえていた朱異と毌丘秀も少しして登用できた。 ちなみに陳留で捕らえた曹軍3将は速攻で逃亡していた。守将を置かないと逃げやすいのか。 262年6月 陳留を落とした董卓軍は軍を返し、そのまま許昌に向かっていた。 許昌は曹操軍の本拠であり、兵も45000ほどいて、有能な将も多いことだろう。 董卓軍と曹操軍の両部隊は嵩山の南東、道が許昌と宛に分かれている潁川から陽翟のあたりでぶつかった。 こちらの先鋒は張繍隊と華雄隊、張燕隊である。 敵軍は大将の曹操以下、曹彰や曹純の騎兵、許褚や鮑信の戟兵、方悦や荀彧の弩兵、曹真の槍兵などが出てきた。 兵数ではこちらの方が多いが潁川のあたりは道が細く、森があるので騎馬の戦いには向いていない。 なので許昌領に入ったところですぐに太鼓台を建てる。すると曹操軍は虎牢関方面まで出てきてくれる。 しかしこれでもまだ細い道で戦わざるをえないので、ここで迂回させていた後詰部隊の出番である。 于禁と成公英の2隊は陳留の迎撃軍と戦った後、城攻めに参加せず、洛陽から武関と宛を通って曹操軍迎撃部隊の背後に出るようにしていたのだ。 これによって我が軍は兵力の多さを活かして両側から突撃を仕掛けることができた。 この攻撃で荀彧隊、鮑信隊、曹彰隊を壊滅させ、曹純隊は残兵わずかとなり、残った曹操隊などは森を伝って許昌まで後退した。 もちろん我が軍も被害を受けていたが、それでも充分な勝利であった。 さて、ここで・・・ 「やりましたね将軍、我が隊も曹操軍に勝ちましたよ」 「よせよせ、私は将軍などとは言えん」 「でも将軍の計略がうまくいったのは大きかったですよ」 「そうかな、それほどの智将かな私は。ははは。そうだ、それより敵の様子はどうだ」 「はい、我々が戦った曹純隊は500騎ほどまでに減ったようで、許昌に戻る様子です」 「そうか、それならよい」 「ではまた後ほど、馬邈将軍」 将軍、と兵に呼ばれた男、馬邈は戸惑ったが今度はその言葉を受け入れようとした。 「ふう、なんでこんなことになったのだ」 馬邈はつぶやいた。彼の口癖である。 治安担当官の頃からこう言いながら仕事をしていた。こう言うと問題点が見えてくる気がするのだ。 以前、馬邈は李氏という女性と結婚していた。彼は李氏に招かれて長安の何進軍に仕えるつもりだった。 しかしそこへ向かう途中で何進軍は滅亡し、李氏が死んだことを知った。 茫然自失として進む道を見失っていた馬邈に声をかけたのは漢中太守の閻圃であった。 彼の言葉によって馬邈はよみがえり、李氏の夢であった漢朝の天下を目指していくことに決めた。 馬邈は仇敵とも言える董卓軍に仕官し、漢中や長安、涼州の治安担当官として勤務に励んだ。 あまり優秀とは言えなかったが、彼の熱意に感じた閻圃は馬邈を軍の特技付与枠に推薦してくれたのだ。 そこで馬邈は「待伏」の秘技を習った。が、活用の機会はなかなか来なかった。 「私は戦いには向いていないのだ」 馬邈は正直にこう思っていた。彼は優しい性格の男なのだ。 だが董卓軍が中原へ出ることになり、騎馬戦法の使えない森での戦闘を想定した首脳部が軍で唯一「待伏」を習得している馬邈に白羽の矢をたてた。 彼は涼州から一躍洛陽に出て、智将で有名な成公英隊の副将として出陣することになった。 その成公英隊は陳留戦で森に布陣し、いざ伏兵を使おうとした。 が、騎兵という兵科では伏兵ができないらしくて結局、馬邈の出番はなかった。 彼はほっとしたが、騎馬では伏兵ができないとなると馬邈は軍に居場所がなくなる。 「なんでこんなことになったのだ」 その時もまた彼は独り言をつぶやいた。功名心、安堵感、焦燥感の混じった複雑な気持ちであった。 けれど成公英隊は許昌の挟撃作戦を受け、宛側から曹操軍に攻撃をしかけることになった。 お役御免だと思っていた馬邈ももちろん従軍した。 手柄を立てる好機である。 相手は曹純隊5000で、成公英隊の計略により混乱した曹純隊は大打撃を受けて壊滅状態となった。 まさに殊勲の活躍である。あとで褒美もあるだろう。 「こんなにうまくいっていいものだろうか」 馬邈は考えたが、そんなことは初陣の自分がわかるわけがない、と思い直した。 今日の戦闘は終わり、辺りでは兵が夕の兵糧の準備をしている。 ふと陣門の方を見ると騎兵がたった今帰着して陣に入ってくるところだった。 500騎ほどだろうか。前職は治安担当官だった馬邈は兵たちをよく観察する癖があった。 夕暮れである。馬邈は目を細めた。 はっきりとはわからないが、馬邈はその兵たちがどうもおかしい気がした。 なんとなく鎧の色が我が軍のものと違って黒い気がするのだ。 そして、500騎か、と考えた瞬間、馬邈は背中に冷や汗が出るのを感じた。 しまった、と馬邈が思うと同時に黒の500騎が本陣に向けて走り出した。 「くそっ、敵襲だ。お前たち、私の後ろについてくるのだ」 周囲の部下たちに叫ぶと馬邈は馬に乗って500騎の方へ走った。 500騎の先頭に旗が立つ。「純」の文字が見える。 馬邈の部下たちの声で味方はようやく敵襲に気付くも、間に合うのは自分だけだと思った。 成公英本陣の幕舎の前で自分なりに陣形のようなものを組む。もう500騎が迫ってくる。 馬邈は剣を抜いた。 先頭の男と目が合う。思いきり剣を突き出した。 交錯する。 風。そして感触があった。 しかしそれは剣の方にではなく、自分の方に感じるものだった。 腹が熱い。そして視界が夕焼けに染まって霞んでいく。 ぼやける視界の隅から味方が500騎にぶつかるのを見つつ馬邈は体から力が抜けた。 「なんでこんなことになったのだ」 馬邈はまた口癖をつぶやいた。 (「馬邈伝」完) と、長い描写をしましたが、なんと馬邈が戦死。 500にまで減ったので撤退すると思っていた曹純隊の突撃で馬邈が戦死。 おそらく馬邈についてこんな文章を書こうとする人はいないと思うので何卒お許しください。 曹純隊は突撃の反撃で壊滅するも、主将の曹純を逃がしてしまった。無念なり。 さて先鋒部隊も許昌前に到達し、曹操隊を壊滅させ、副将の蘇由と典満を処断。さらに張繍隊が方悦隊も撃破して、方悦を処断。 ようやく城攻めにかかる。曹操自身が守るだけあってなかなか固かったが、一斉をかけて削る。 12月、最後は董旻隊の井闌で落とした。 許昌で捕らえた武将は、 曹昂、曹丕、曹植、夏侯徳、鍾毓、張緝、万彧、陳登 で、肝心の曹操や曹真、荀彧らは逃がしてしまった。まあいいだろう。 鍾毓と張緝を捕虜にして、あとは処断した。 262年11月 新野の徐栄率いる第2師団は襄陽攻めを開始した。 実は新野では造船所3つと練兵所を作って、楼船を作っていたので少し時間がかかったのだ。 まずは中廬港を目指す。この港には襄陽に戻った黄忠が12000の兵で固めていた。 この港の攻略には上庸の部隊、李儒の第3師団が当たった。 李儒+胡車児7000騎、李通+蘇飛6000騎、諸葛誕5000騎 という軍勢がこちらも楼船で出撃し、攻撃をしかける。さらに新野軍の軍勢も攻撃に加わる。 船上では黄忠も怖くなく、中廬港はあっという間に耐久が0となった。 ここで江陵の劉備軍が空になった新野目指して出撃したという情報が入る。 張梁の妖術隊、郭汜の木獣隊と護衛の李傕隊9000騎を残して、残りは新野に戻る。 襄陽城には20000しか兵がおらず、黄忠隊と呉班隊が迎撃に出てくる。 しかし張梁の活躍と騎馬突撃で両隊はすぐに壊滅し、黄忠隊の副将董厥と呉班を討ち取った。 263年1月 新野に攻めてきたのは関興隊と関銀屏隊、張苞隊で、湖陽の港を出て水上で迎撃した。 敵部隊には知力が足りておらず、賈詡の計略や朱異と留賛の水軍適性による激突で「猛者」が発動して簡単に全滅させることができた。 この水戦では関興と副将の孫異を捕らえ、処断した。 襄陽。 襄陽城ではなおも黄忠が奮闘して守っていたが、2月、ついに力尽きて落城した。 もちろん内政施設は1つしか残らなかった。郭汜のせいなのだろうか。 捕らえた武将は、 黄忠、黄月英、蒯良、許靖、黄祖、劉琮、趙累、趙範、黄皓、孫皓、孫休 という面々で、二皓がいたことにウケた。「覇王」がついている孫休以外を処断。 月英も斬ったから諸葛亮が怒っているだろう。 同じころ、許昌の董卓軍本隊は気力を回復しつつ、洛陽から兵を補充輸送していた。 2月。出撃し、汝南を攻める。汝南には30000がいる。大将は曹操である。 ここで一計。「長駆」もちの張燕を一度新野に向かわせ、まず新野側から汝南に侵攻する。「釣り」である。 回廊地形に敵部隊が2隊ほど出てきたところで、土塁を作り、土塁越しに騎射で攻撃する。 この間に本隊が許昌から汝南に攻め込むと、城兵は20000に減っており、曹操隊、曹真隊、許褚隊が出てくる。 汝南の北東の森に入った曹操隊と殴り合うのは効率が悪いので、無視して汝南城の兵を削りにかかる。 5月。回廊側から戻ってきた兵を蹴散らして、汝南城を落とす。 ここで荀彧、陳羣を捕虜にする。しかしすぐに曹操から使者が来たので解放してあげた。 他には曹純、曹爽、裴秀、王異、張悌を捕らえ、王異と張悌を捕虜にして後は処断した。 曹操軍は寿春から建業方面に人数をかけているようで汝南にはあまり武将がいなかった。 まあ曹純を斬れたのでよしとする。 曹操隊は寿春へ撤退していき、これで曹操軍は寿春城を残すのみとなった。 263年6月 襄陽を取った第2師団の李傕や郭汜と第3師団の李儒の兵力で、江陵の兵力が少なめなのを好機に侵攻を開始した。 江陵の劉備軍は荊南の金旋軍討伐に向かったため城兵は20000もいないのである。 守備の大将はなぜか劉度である。 こちらは、 先発 張梁+賈充8000騎、李傕+孫休(覇王)+毌丘秀(疾走)10000騎、牛輔+諸葛誕8000騎(義兄弟にしました) 本隊 郭汜+楊阜 木獣9000、李儒+胡車児8000騎、李通+蘇飛6000騎 という軍勢で、はっきり言って張梁の「妖術」頼みである。 江陵からは凌統が出てきた。攪乱と突撃で撃破し、凌統を捕虜に。 江陵の城に取りつき郭汜隊が城を落とす。 太守の劉度以下、賈華、吾彦、高幹、劉璿、張紹を捕らえる。 出陣中だからか、ろくな武将がいない。劉度、賈華、吾彦が登用され、あとの3人を斬った。 263年8月 空城にしておいた陳留城を曹操軍に取り返されたという報せが入った。 敵の兵力は9000ほどなので、汝南の董卓軍本隊は陳留に戻ることにした。 なぜ寿春まで攻めないのかというと、中原の東を支配する呂布軍と同盟を結んだからである。 その呂布の小沛軍と曹操軍との間で激戦が行われているので、この隙に陳留から河北を覗おうと思う。 汝南から許昌まで輸送隊で戻り、許昌を成公英隊に任せて陳留へ出撃する。 陳留の守将は郭淮であったので捕らえようとしたがなぜか逃がしてしまった。 それでも曹彰と楊奉を捕虜にして、楊奉を登用した。 統率が低い武将で城を落とすと大魚を逃しやすいようだ。 10月。兵数と装備を整え、陳留に于禁隊を残し、官渡から楼船にのって黄河を渡る。 11月に袁紹軍の白馬を攻め取り、守将の沮鵠と呂曠を斬って、上陸する。 鄴では袁紹軍と公孫瓚軍が壺関の東、地図でいうと魏郡から広宗のあたりで激しく戦闘中であった。 華雄、張繍、太史慈の3隊が牽制しつつ、董旻隊と董卓隊で漳河の堰を切って水攻めを行う。 これにより鄴側にいる袁紹軍の部隊がほぼ全滅し、我が軍と公孫瓚軍との戦いになった。 鄴の城は兵数も6000ほどなので董旻に任せ、公孫瓚配下の賀斉、公孫続、公孫康などとぶつかる。 後詰の張燕と張済の部隊も加わって突撃攻撃を行い、敵部隊を全滅させ、敵将公孫康を捕らえて登用した。 鄴の公孫軍が壊滅した頃、袁紹軍の鄴城もついに落ちた。 12月末。袁紹をはじめ、城内の者はみな捕らえられた。 捕らえた武将は以下の通り、 袁紹、袁熙、袁尚、劉氏、沮授、審配、麹義、辛評、高柔、呂威曠、眭元進、張邈、藩鳳、穆順、曹豹、鄒靖、王桃、陳矯、楊祚、尹賞 陳矯と楊祚、尹賞だけが登用に応じた。 袁紹軍の武将たちは相性的に董卓様とは合わないので残念ながらほぼ全員処断の運びとなった。 ここで気付いたが顔良や文醜、田豊などがいない。 どうやら袁紹軍は公孫瓚軍の平原城を呂布軍と三つ巴で争っており、彼らは出陣していたようだ。 だが袁紹軍は滅んだので彼らの部隊は消滅し、離散してしまった。 我が軍はこの3年間で陳留を2回と許昌、汝南、新野、襄陽、江陵、そして鄴の7城を落とした。 まる3年間戦い続けたが、残念なことに(?)、戦死は馬邈だけだった。 戦死について、ここまでのプレイを振り返って気付いたのだが、戦死を発生させた時の突撃した武将(加害者)を思い出すとみな騎馬適性がSなのだ。 華雄、徐栄がこのプレイ日記でも何度か戦死を発生させたが彼らは騎馬Sであり、今回の馬邈を殺した曹純も騎馬Sである。 またプレイヤーがこれまでプレイした記憶を振り返っても呂布、馬超、龐徳、文醜、夏侯惇が戦死を発生させていて、逆に騎馬Aの武将では一度も戦死が起きていないことに気付いた。 というわけでこれからは董卓の愛臣たちの騎馬適性を上げていく必要があることに気付いたのだ。 そんなことを考えながら、董卓様の官職は大将軍にまで進んだのであった。 今回の犠牲者 61人 合計 150人 関彝、夏侯淵、夏侯恩、曹洪、夏侯和、夏侯恵、傅巽、橋瑁、陳珪、鮑三娘、徐庶、雷銅、呉蘭、劉封、劉琦、鄧芝、陳震、★馬邈(戦死)、曹昂、曹丕、曹植、夏侯徳、万彧、陳登、董厥、呉班、黄忠、黄月英、蒯良、許靖、黄祖、劉琮、趙累、趙範、黄皓、孫皓、曹純、曹爽、裴秀、高幹、劉璿、張紹、沮鵠、呂曠、袁紹、袁熙、袁尚、劉氏、沮授、審配、麹義、辛評、高柔、呂威曠、眭元進、張邈、藩鳳、穆順、曹豹、鄒靖、王桃 指名手配 なし 新加入武将 23人 張梁、杜預、楊阜、孫仲、鄧茂、韓徳、張闓、朱異、謝旌、留賛、毌丘秀、鍾毓、張緝、張悌、王異、凌統、劉度、賈華、吾彦、楊奉、公孫康、陳矯、楊祚 第6回へ続く (次ページに董卓軍中心メンバーの能力表を載せたいと思います) 董卓/上級/魔王董卓の殺伐たる天下取り 第3部 頑張れ。設定は『戦死多い』ですか? -- 名無しさん (2011-07-18 16 17 40) ありがとうございます。はい、「多い」に設定しています。かれこれ50~60回は突撃をしていますが戦死はあまり起こりませんね。 -- 董卓の日記著者 (2011-07-18 17 25 19) まあ、死んでいくのは遠方の無名な武将たちだもんなあ・・・ -- 名無しさん (2011-07-18 18 24 14) そうですね、後で知らないうちに死んでる武将をチェックしないとだめかもしれません。全部で670人もいるので大変でしょうけど。 -- 董卓の日記著者 (2011-07-19 00 29 40) 現在の董卓軍の古参の武将の能力を教えてください。 -- 名無しさん (2011-07-21 13 47 20) コメントありがとうございます。わかりました。ちょっと待っててください。 -- 董卓の日記著者 (2011-07-22 00 17 56) とうとう味方に戦死者出ちゃったか…。 -- 名無しさん (2011-07-22 16 51 16) もしかして騎馬Sの武将じゃないと戦死させることはできないのかな?だとしたら新たな発見だね -- 名無しさん (2011-07-22 17 28 22) そうじゃなくて武力の関係な気がする -- 名無しさん (2011-07-22 18 00 22) 今のところ武力、騎馬適性のどちらが必要条件なのかわかりませんが、確かに騎馬Sは高武力武将ばかりですね。このプレイの要旨なのでもっと検証したいと思います。 -- 董卓の日記著者 (2011-07-23 13 45 04) 今、騎馬Aの凌統で戦死を発生させました。よって騎馬適性は必要条件でなく、曹純の事例から兵数も関係ないことがわかりました。武力が重要だということになります。 -- 董卓の日記著者 (2011-07-26 10 01 07) 名前 コメント
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呂布に次ぐ猛将。知力は低いので必ず軍師を。 特技 闘神 の強さは凄まじい。最強の呂布が相手でも乱突ハメが出来てしまう。 兵科はやはり槍だろう。隣に関羽が居れば、まさに最強の矛と盾と言った感じである。 もちろん戟でも十分強いので、状況によって使い分けていきたい。 遁走 の劉備と組むと擬似 飛将 になる。嫁の夏侯氏は正直微妙なので、アテにしない様に。 -- (名無しさん) 2010-02-13 01 38 32 技巧開発において、槍と戟は後回しにする人が多いと思うが、序盤の劉備はこいつのせいで悩みが増えたりするw 劉備は開始時の立地が非常にあちこちに散らばる君主なので、周りの君主(=人材バンク)や、攻め滅ぼす順序などを考え、 より良い選択を心がけたい。張飛にこだわりすぎる余りに、不利な展開にならないように! -- (名無しさん) 2010-04-29 03 52 48 知力は低いが、それを補って余りある武力。何回か戦に出しているとたちまち 武力100に。なので、張飛が武官を推挙してきたときにはその武将は登用できた も同然だ。相手が武力90でも一撃で倒すことがあるので、機会があれば、積極的 に一騎討ちをさせたい。断られても気力は回復するのでより多い回数の戦法が 使えるようになる。ちなみに張飛にはオリジナルの台詞が数多くある。 「さあさあさあ、喧嘩の始まりだぜ!」(一騎討ち時)など -- (名無しさん) 2010-09-26 02 34 15 固有セリフの親善の使者に吹いたw -- (名無しさん) 2010-09-29 04 04 31 呂布に戦法を仕掛けたとき 「呂布、貴様だけは許さねぇ」 「呂布、そろそろくたばれ!」 というのがある。 -- (関羽大好き) 2010-09-30 22 33 13 捕まえてから脱走をされたが、これにまで固有セリフがある。 「脱獄の鬼才・張飛にかかれば この程度の牢破りくらい 朝飯前だぜ!」 というもの。 -- (名無しさん) 2010-10-11 22 18 58 技巧研究・軍制改革でセリフあり。 「軍制改革って何だろうな……」 張飛っぽいけど、固有かしらん? -- (名無しさん) 2010-10-24 16 21 47 ↑どの技術を研究しても「○○って何だろうな……」ってなる。 あと関係ないが張飛の舌戦は必見。ひどい。 -- (名無しさん) 2010-10-25 19 57 28 脱獄のセリフに 「ぬおおおお よし開いたな」とかいうケンシロウ的な奴があったような・・w -- (名無しさん) 2010-11-04 00 19 07 昔から肥は張飛大好きだよな 三顧の礼などのイベントでも愉快な演出があって実に楽しい(頼もしい)キャラ 特技や能力や一騎打ちなどの関係上、劉備とセットで運用するのが吉か -- (名無しさん) 2010-11-07 11 30 35 捕虜返還の使者に来たとき、要求を承諾すると 「ありがとよ、じゃ連れて帰るぜ、あばよ」 とか言ってた。 -- (名無しさん) 2010-11-12 14 17 52 舌戦時の「時節」で、「時代の流れを見やがれ!俺も見る」とかあって面白かった。 張飛は呂布並に特殊台詞が多い、というかほぼ全ての台詞が専用のものと思われる。 関羽や諸葛亮も専用口調があるが、舌戦時は汎用だし。 張飛と呂布は愛されすぎw。 -- (名無しさん) 2010-11-30 10 37 55 舌戦勝利時、張飛にだけ右手を突き上げる専用のモーションがある。 -- (名無しさん) 2010-12-23 09 24 16 張飛が弩戦法を使用した時の「殴りあいの方が性に合ってるんだがな…」っていうのは固有の台詞なのかな? -- (名無し) 2011-01-14 04 43 58 正史に於ける「長板の戦い(208年)」以降の彼の戦い振りから(いや、それ以前からだけど)、「只の脳筋」と謂う従来のイメージとは逆に、強かな知将と謂う彼の実像が見えてくる。開眼型とはいえ、素で知力30は低すぎ。せめて55以上は無いと・・・ -- (ワンダー) 2011-01-16 22 14 00 セリフの更新がすごいですね… ところで、顔グラ変化後には評定のセリフがでなくなるような… -- (名無しさん) 2011-01-24 20 14 15 正史では知勇兼備、且つ娘を劉禅の后にする等、政治の如才もあったと推測される。勿論演義ベースの方がキャラとして面白いし良いと思うが。 -- (名無しさん) 2011-01-27 21 52 23 ガチで勝負したら、威力が半端なく厄介。 優秀な文官がいれば先頭面において最強なので、袋だたきで倒すのが良い。 政治面は見なかった事に… -- (名無しさん) 2011-02-02 23 09 34 軍師さえいれば戦場を思う存分暴れまわれる。 乱突ハメでも、戟兵で多数の敵を前に暴れ回るのでも最大限の戦果が挙げられるだろう。 また、非常に愛されてるキャラなのでセリフもほとんどが特殊なものである。 その為呂布と並んで使ってて飽きないキャラと言える。 何気に強かな部分もあったが、そんな張飛は自分は正直見たくないw 今みたいなキャラと能力こそが張飛一番の魅力であろう。 -- (名無しさん) 2011-02-03 06 13 18 井欄率いたときに、「なんで俺が攻城兵器なんか」てなセリフ言ってました。固有? -- (11初心者) 2011-04-01 09 54 24 武力がチートなせいで何率いさせても強いな… もちろん基本は槍か戟だが。 -- (名無しさん) 2011-04-25 16 59 11 乱突時に「ぐるぐる回してやるぜ!!(原文のまま)」と言ってました。固有ですよね? -- (ゆんぼ) 2011-06-16 01 35 52 知力の成長曲線が「開眼」なので寿命が近づくにつれたんだん高くなっていく。 元の知力が低すぎるのではっきりいって焼け石に水だがw -- (名無しさん) 2011-07-08 06 11 28 火傷を負ったときに「ちっ、こんな傷つば塗りゃ治る!」って言ってました。 固有でしょうか? -- (名無しさん) 2011-07-29 11 35 49 正史では知力はもっとある70くらいはあってもよい。だが統率は過大評価。 -- (名無しさん) 2011-07-29 20 57 44 S14では武官推挙されるのだが… 一騎打ちで彼に勝てる武将などそういる筈もなく、ひたすら在野の士ってことも。敵に廻るぐらいならそのまま埋もれさせるのも一つの手かも。 -- (名無しさん) 2011-10-07 11 42 16 ↑ゴツトツコツで勝ったぜ!そのあと関羽を推挙してくれた。そのときのセリフが他人行儀すぎたけどw -- (名無しさん) 2011-11-02 22 54 11 ↑兀突骨で張飛推挙されるの?出身地全然違うけど -- (名無しさん) 2011-11-02 23 30 19 ↑CSPK祝融初級で本当にでた。武官推挙って出身地関係ないみたい。機種によって違うんですかね? - 名無しさん 2011-11-03 22 16 16 張飛ではないが、PCPKでも出身地の離れた武将を推挙することがある。参考動画→http //www.nicovideo.jp/watch/sm14443217の1 54 - 名無しさん 2011-11-04 00 32 11 おそらく、同出身地だと推挙イベント割りと頻繁に起こるけど他地域だと極稀に起こるのではないかと予想、実際起こる事あるし - 名無しさん 2012-03-17 14 06 14 槍兵で奇襲時、「のん気に森を散歩ってか?間抜けな奴らめ!」と言ってました。 - 名無しさん 2012-04-27 12 07 15 「燃えろ、燃えろ! もっと燃えろ!!」は木鹿大王とか孟優が同じことを言っているから凡用のセリフ。 - 名無しさん 2012-04-29 18 11 25 恐らく演義ではなく正史を基準にすると「張飛」が『趙雲」の能力ぐらいになってたんだろうな - 名無しさん 2012-05-17 16 30 20 呂蒙の能力が上がるんだから張飛だって上がってもいい気はするな - 名無しさん 2012-07-06 16 23 33 知力に関しては開眼のおかげで上がったと思う。それでも心許ない数値だがw - 名無しさん 2012-07-06 22 45 19 木獣戦法時「灼熱地獄ご招待ってな!!」と言ってました。 - 関羽大好き 2012-10-05 23 07 48 専用台詞大杉笑った。こーいうの見るとやっぱ使いたくなるな - 名無しさん 2012-11-16 11 17 20 呂布共々歩く珍言集 - 名無しさん 2012-11-20 12 31 23 知力がせっかく全武将の全能力唯一の開眼なのに、基礎能力がしょぼすぎて開眼でも39と、十の位の変動すら起きない。というか39が開眼前の能力だと言われたら普通に騙されそうなレベル。完全に個人的な話だが、オレは実際に39を開眼前にして開眼して50になるようにしてる。 - 名無しさん 2013-01-11 02 21 55 脱獄時、「脱獄の鬼才・張飛にかかれば この程度の牢破りぐらい 朝飯前だぜ」というセリフを確認。 - 名無しさん 2013-03-22 17 37 35 あと詳しくは忘れたけど「うおおおお!」で始まるパターンもあった。 - 名無しさん 2013-04-11 21 00 55 わろた - 名無しさん 2013-04-27 00 42 09 いいね、愛されてますね - 名無しさん 2013-06-01 00 28 31 槍でも戟でもいけるぜ!といわんばかりの適正+特技だが、統率がいまいちなので戟はあんまり向いてない。よっぽど混乱要員が飽和しているんなら別だが、基本的には乱突専用の武将と言える。劉備と組ませて飛将にすることも多いだろうが、兄弟そろって統率がいまいちなのであまり調子に乗って踏み込むと危険。 - 名無しさん 2014-09-08 00 48 02 武力が高いから劣って見えるだけで統率85は普通なら高い部類だろうよ - 名無しさん 2014-09-08 07 09 49 追記すると戟兵張飛は戟兵防御にランキング入りしてるレベル。そもそも戟神の太史慈ですら統率83だぞ - 名無しさん 2014-09-08 07 17 07 82だった。もっと低かった - 名無しさん 2014-09-08 07 22 33 張飛が高く見えるのは統率85+デフォで戟Sだからで、副将で適正さえ補えば張飛より上はいくらでもいる。それよりも武力98の乱突クリティカルを活かす方がよりベターだと思うんだが。 - 名無しさん 2014-09-08 13 21 42 あ、前半は戟兵の盾力の話ね。 - 名無しさん 2014-09-08 13 25 11 そもそも戟兵防御を見るまでもなく統率85は36位の高順位、ページ見りゃ高いのは明らかなのになぜ低いとか言うコメが来るんだろうか? だいたい攻撃に関してもダメージだけ見たら単体にしか攻撃できない槍兵より複数攻撃できる戟兵の方が総合ダメージが上になるケースはよくある、ケースバイケースとしか言いようがない。 - 名無しさん 2014-09-08 14 37 22 張飛より上はいくらでもいる(全体の一割未満) なお英雄集結の劉備軍ですら張飛より上は四人しかいない模様 - 名無しさん 2014-09-08 15 00 13 根本的な問題として張飛の統率で見劣りするような武将が揃うようなプレイしてれば大抵は混乱要員も結構な数いるはずなんだがなぁ。劉備軍は特に。 - 名無しさん 2014-09-08 19 14 33 はあ、なんか疲れてきた・・・・ゲームやって、槍と戟の使い方がわかってからコメントしような。 - 名無しさん 2014-09-08 18 06 12 同感だな。張飛は槍だけでいいとかよほど偏ったプレイしかしてない奴が暴れるだけだろうしほっといていいだろ - 名無しさん 2014-09-08 18 34 47 ↑2舌戦に負けた呂布のような負け惜しみだな↑そいつその馬鹿当人じゃね? - 名無しさん 2014-09-08 18 47 46 その馬鹿だとわかった上での皮肉なんで気にしないでくれ - 名無しさん 2014-09-08 23 29 29 600人を超える武将の中で槍・戟とも防御20位以内、これで不満ならおそらく満足できないと思う。まずは副将で補おう&統率壊滅さんとやりやって張飛の強さを知ってみよう・・・としか言えない 知力が低いなら明鏡を - 名無しさん 2014-09-08 21 53 37 ウンチク語りといい、最近明らかにゲームやってないのに語りたがるやつがふえたなあ。 - 名無しさん 2014-09-09 14 01 13 色んな武将に連続して長文コメントついたり特技が勝手に書き換えられたりしてるし同一人物の仕業な気がしてならない。鉄壁を◯に書き換える程度の腕前で戟は向いてないとか語ってたんなら噴飯ものだが - 名無しさん 2014-09-09 17 25 46 張飛の話をしろ。くだらん言い争いする場所じゃない。統率は高すぎると思う、統率は兵をまとめる兵を意のままに動かす。そんなイメージだから高すぎると感じるなぁ。 - 名無しさん 2014-10-23 19 47 45 いや張飛の話しをするところじゃなくて、イメージがどうとかの話じゃなくて、攻略の話するページなんだが・・・ - 名無しさん 2014-10-24 10 14 07 ↑何言ってんの?ここは攻略かつ張飛の話をするところでもあるんだが。 - 名無し 2014-10-25 18 00 51 張飛の話をしろというのは、色んな武将に連続してって文章に言ってるんだ。張飛も攻略も関係ない話だろ。おまえらの争いなんかどうでもいいんだよ。ここは攻略ではなく張飛に関するコメントのページだろうが、張飛好きな俺は迷惑してるんだよいい加減にしろ。 - 名無しさん 2014-10-25 20 26 46 そうだね。 - 名無しさん 2014-10-25 21 27 45 ↑↑お前が張飛も攻略も関係ないくだらん文章とはどんなものが体現している存在である事はよく分かったよ - 名無しさん 2014-10-25 21 49 58 そうだね。 - 名無しさん 2014-10-25 22 35 44 槍兵Sは強力だね。 - 名無しさん 2014-10-25 21 23 33 そうだね。 - 名無しさん 2014-10-25 21 23 46 戟兵Sも強力だね。 - 名無しさん 2014-10-25 21 24 27 そうだね。 - 名無しさん 2014-10-25 21 24 40 弩兵Cはいまいちだね。 - 名無しさん 2014-10-25 21 25 39 そうだね。 - 名無しさん 2014-10-25 21 25 51 性格おわってんなおまえらww - 名無しさん 2014-10-26 01 38 16 あのな、俺はまったく上のほうの言い合いに関係ないんだが、張飛のコメント欄なのに「特技を書きかえてる同一人物だなんだ、鉄壁を丸だの」もう話がおかしなことになってるから、いい加減にしろって書いたんだ。もはや張飛でも攻略でもないだろう。そしたら今度は俺に八つ当たりの揚げ足取りか?勘弁してくれよ幼稚すぎんだろ、仲良くしろよおまえら - 名無しさん 2014-10-26 01 42 01 全く同意だね。 - 名無しさん 2014-10-26 04 12 53 ↑ - 名無しさん 2014-10-26 04 19 50 張飛の話をしろ。くだらん言い争いする場所じゃない。 - 名無しさん 2014-10-26 04 21 27 馬鹿が! 相手してらんねえぜ! - 名無しさん 2014-10-26 04 22 42 おい、誰か! 火を消せ! - 名無しさん 2014-10-26 04 23 10 ((^ω^≡^ω<ギャアアアアアアア - 名無しさん 2014-10-27 12 01 15 張飛はキョチョと同じで、武力バカで統率は低いイメージなんだよな。火力と一騎打ちは強くていいが統率は高すぎるなぁ、70台あれば十分、60台でもおかしくないと思うがなぁ。兵を巧みに操るということなわけだし。闘神だが、器用に槍を使いこなすよりも戟で暴れまわるイメージが強いので戟神でよかったかなとおもう。もしくは闘神を戟戦法と通常攻撃クリティカルにしてほしかったなぁ。関羽と張飛で槍螺旋強すぎるもんなぁ。ちゃんとバランス考えたのかなこれw - 名無しさん 2014-10-31 21 13 46 むしろ統率低いイメージあるのが不思議だわ。演義でも劉岱戦をはじめ兵を巧みに使って敵を破る描写は多い。むしろ張飛以上に描写が豊富な奴の方が少ないくらいだろ - 名無しさん 2014-11-10 23 12 20 張飛は三国無双のイメージが強いから統率が低いのはわかるなぁ。兵を巧みに使ってってまずありえない武将だよなwwそういうのは軍師的な奴だわ - 名無しさん 2014-11-11 19 41 46 正史では結構、巧みな用兵と武力を持った名将らしいけどね・・・。たしか 無双は演義準拠らしいし - 名無しさん 2014-11-13 01 09 41 いや演義の方が兵を使う活躍は多いよ。無双はそういうエピソードを全カットしてるから脳筋一辺倒なイメージになる。 - 名無しさん 2014-11-13 13 32 52 三国無双なら軍師的な奴さえも策だ策だと言いながら身一つで突っ込んでいくイメージだがw - 名無しさん 2014-11-13 13 59 12 そんな張飛さんに負けた張郃は統率下げなきゃ、張郃下げたなら魏の五将軍も下げなきゃ、なら五将軍筆頭の張遼にフルボッコの呉の連中はもと下げなきゃ、そんな呉に負けちゃった関羽はもっと下げなきゃ、デフレが止まらん - 名無しさん 2014-11-13 04 46 56 ワロタww - 名無し 2014-11-13 12 42 08 11は能力が成長しやすいから全体的に下げても良かったとは思うけどね。 - 名無しさん 2014-12-22 19 54 07 無双はもはや三国志とは呼べないと思うんだが - 名無しさん 2015-01-05 21 04 12 統率85もあれば十分じゃないのか・・・? - 名無しさん 2015-01-19 02 23 01 ↑誰に対してのコメントか解りにくいんじゃ、カス - 名無しさん 2015-01-19 07 29 24 ^^; - 名無しさん 2015-01-19 17 45 57 基本的には槍兵で出すことが多いだろうが、乱突要員として特化させる場合、特技の補完が必要ないので本人+防計要員で枠が1つ余る。楽奏や詩想は弓系に回したいし、ここは張飛の武力と一騎打ち補正を活かすためにも、死んでも構わないお手ごろな一騎打ち釣り役を同伴させておくとよい。 - 名無しさん 2015-02-03 00 21 37 蜀の中じゃ珍しく演戯のせいで不遇な人ってイメージだわ -- (名無しさん) 2015-11-09 18 23 04 張飛と一騎打ちしてると、クリティカルが出すぎ。蛇矛を奪って、アイテムなしの状態でもバンバン闘志クリティカルでてゲージ溜まりまくって強すぎるわ。こっちは同じ武力98で青龍円月刀と青紅の剣もたせてたけど勝てそうにないわ。防御戦法でがんばってるが5合打ち合うごとにクリティカル出る感じ。蛇矛の効果だとおもって奪ってあるのにも関わらず。一騎打ちには補正があるようだけど、クリティカルでまくる補正でもかかってるのか? -- (名無しさん) 2015-11-21 22 07 37 ↑上級以上から、武将に関係なくCOM側にクリティカル率が上がる補正がかかる。 それとは別に張飛は一騎討ち補正があり、武力100の補正無し武将も一閃する。 よってCOM張飛を一騎討ちで倒すのはまず無理。S6だと大抵龐統と一緒に出てきて虚実すら弾くので恐ろしい。 -- (名無しさん) 2015-11-26 23 57 26 「武将育成」コマンドで、張飛に知力の修行をさせた時 「これでもっと使える男になっちまうな!」 と言ってました。これも固有セリフですか? -- (名無しさん) 2015-12-11 14 46 37 知力30台とかただの馬鹿ってイメージからそろそろ脱却しようぜ 50~60が妥当。晩年なら70台あってもいい -- ( ) 2015-12-15 15 27 26 雲梯の技巧研究させた時に、「雲梯の研究か・・・。雲梯ってなんだ?」って言ってました -- (名無しさん) 2015-12-22 21 50 48 一騎打ちの時の固有セリフありそう -- (名無し) 2015-12-30 01 24 19 評定時に「流石の俺様も今は内政だと思うぜ!」がありました -- (名無しさん) 2016-03-08 09 31 03 アイテム没収時 『なんてこった!おれのお宝が!』 追放時 『この張飛様を追放だぁ!? よっぽど命が惜しくねえようだな!! やってられるか! あばよ!!』 固有コメかな? -- (名無しさん) 2016-03-27 15 05 07 成長が「開眼」なのが脳筋から後々知勇兼備に育った彼らしい。 確か彼が書いたものと思われる石碑が出土していたり、政治家としての一面もあったりと、実は多才な三男坊。 ゲームにおいての知力の素養は、開眼するとはいえ貫禄の30。政治は22。内政では何もできない。(固有名詞は豊富で楽しいので試しに使ってみる価値は十分あり。)前半シナリオでは義兄(特に知力補正も兼ねて長兄)と組んで出撃することが多い。 S6なんかでは、ちょっと勿体ないが親愛の龐統と組ませたりするのも手である。ちなみに義兄弟だし、それでなくとも義理最高野望最低なので、太守としてこれ以上信頼できる男もいない。 さらに、評定、内政、戦闘、舌戦とありとあらゆる場面で特殊台詞が大変豊富に用意されている。彼の存在自体が三国志11の一つの楽しみといってもいいかも知れない。 -- (名無しさん) 2016-10-22 00 40 50 張飛って固有セリフ多いね。 一騎打ちで勝利したとき、「おいおい、もう終わりかよ」って言ってたし。 -- (名無しさん) 2016-12-08 21 44 59 そもそもあれだ。エディット武将作るときにあるのが「口調・張飛」 彼の固有台詞というより、張飛専用にテキストが一新されてるな。 -- (名無しさん) 2017-05-11 19 11 27 あらためて考えてみると張飛を戟で使ったこと無いな 戟が向いてないというよりはだいたいの場合関羽など他に戟に向いてる武将が居るせいと言った方が正しいが 戟を1つの戦線に1人しか用いなかったり1つの戦線に1人は混乱要員を用意しようとしたり、後半になると騎兵しか使わなくなったりするプレイスタイルのせいでもあるかもしれないけどね -- (名無しさん) 2017-05-12 06 03 48 槍クリティカルと戟クリティカルの有効性の差を考えれば別におかしくはない。 戟は単にダメージが増えるだけだけど、乱突クリティカルはその戦場を実質的に支配できる。 常にメイン戦線を1つに絞ってそこに主力を集中投入しなきゃ気が済まない、って人はともかく、普通に運用してれば張飛は槍運用の方が効率的だと思う。 -- (名無しさん) 2017-05-12 12 24 54 槍と戟を比べて戟を使ってないという話ではなかったんだが… 上に書いたとおり騎兵運用はしてるので、槍しか使わないわけではないよ -- (名無しさん) 2017-05-12 23 05 19 一騎打ちで、呂布に体力半分以上残ってる状態で勝ち勝ち張遼を瞬殺、挙句の果てに夏候惇&徐晃&荀攸(これはどうでもいいかww)にも余裕でかつ。強すぎ -- (名無しさん) 2017-05-14 18 56 13 諸葛亮に龐統もいるってのに槍はもったいないだろう。計略かけて張飛は戟で薙ぎ払い、弓神で味方に当たらない黄忠で乱射が一番効率いいだろうよ。いくら螺旋突といっても単体攻撃なのをわすれちゃいけない -- (名無しさん) 2017-08-03 03 52 55 その2人が揃ってるシナリオが、集結系を除けば一つしかないのが難点。 軍師系のいない初期なら、槍としての運用は多いにあり。というかそうしないと相手の物量に押し切られる。 孔明がいるなら、戟で出て、大体数部隊でまとまってる敵のどちらかを混乱させたら、あとは好きに狩り放題である。 -- (名無しさん) 2017-08-05 09 58 37 いい笑顔だよなあ -- (名無しさん) 2017-10-13 08 31 55 力は強いが、如何せん脳筋。知力は開眼だが計略が防げるほどになる訳では無いので、知力要員を忘れないようにしよう。さもなくば完封されることもあり得る。コメ主は実際やられました。 -- (名無しさん) 2017-11-18 22 59 59 さすがに張飛に計略対策なしで出陣させるとか初心者すぎるだろうw -- (名無しさん) 2017-12-09 19 00 03 うっかりミス(ボソッ) -- (名無しさん) 2017-12-13 18 38 22 ふと感じたんだけど、なんで関銀屏に親愛されてるんだろ。何かエピソードあったっけ -- (名無しさん) 2017-12-27 08 44 43 ↑張飛は関銀屏をとても可愛がっていて、名付け親になっている。 -- (名無しさん) 2017-12-28 00 23 06 超級で黄忠、魏延を義兄弟にして一騎打ち勝利 固有セリフは「なんで俺が負けるんだよ」みたいなセリフだったわ。 -- (名無しさん) 2018-09-14 11 01 09 よく一閃されなかったね。 張飛に一騎打ち、しかも超級では怖すぎてできないよ。 -- (名無しさん) 2018-09-14 11 35 03 久しぶりに来たが、日に日に特殊セリフが増えてるな(笑) -- (名無しさん) 2022-08-26 23 20 52 槍で出すと気力の続く限り永遠に混乱させられる永久機関と化す。単体だと敵の計略でこっちが延々混乱させられることもあるので、副将に知将を入れるのを忘れずに。 -- (名無しさん) 2022-09-12 23 31 01
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2759.html
http //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/38.html こちらから異民族・賊徒・群雄を分割しました -- (名無しさん) 2016-02-15 01 05 12 前議論になっいてた気がするけど、列伝の内容自体が間違っている場合はどうするんだ? 楼班の列伝で「楼班と難楼・蘇僕延・烏延は一族を見捨て袁尚と共に遼東へ逃げるが、 公孫康に斬首され、その首を曹操に送られた。」とあるが、史書に難楼が処刑されたという記述はない。 それどころか、「三国志」の「武帝紀」には、207年に那楼(難楼と同一人物と言われる)が降伏してきてるんだけど… まあどうでもいい部分なんだけどさ -- (名無しさん) 2016-05-01 07 39 51 補足でWiki載せておけばいいんじゃね? 三国志本編でも牽弘や胡烈、文鴦の列伝が 適当になってて、不自然死なのに自然死扱いだし -- (名無しさん) 2016-05-01 10 22 01 難楼はマイナーすぎて、個別のwikiは無いのよ… せっかくだから参考で難楼作って、そこで補足でもしておくか? -- (名無しさん) 2016-05-03 17 47 57 お膳立てもしていただいたようなので、難楼を追加しときました。 能力値の査定には興味ないので、私の方では記入は控えさせて頂きます。記載したい方がいれば記入してください。 -- (名無しさん) 2016-05-06 13 27 49 群雄と士燮軍、誰か「群雄」の項に戻しといちゃ呉れないだろうか・・・ 俺では為たくても出来ないので・・・ -- (名無しさん) 2017-01-02 15 14 10 ↑ 訂正:「後漢末~三国」の項だった。 其処の群雄の処に戻して呉れりゃ見易く成るんだが。 -- (名無しさん) 2017-01-02 15 17 40
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/477.html
ショウキョウ 列伝 喬氏。周瑜の妻。孫策の妻・大喬の妹。 【演義】 喬国老の娘。絶世の美女として知られ、孫策に嫁いだ大喬と共に「二喬」と称された。孫策の臨終の際、周瑜に孫権への補佐を頼むよう遺言される。赤壁の戦いの前、曹操が二喬を銅雀台に住まわせることを望んでいると諸葛亮から聞かされた周瑜は激怒し、曹操との決戦に踏み切った。 【正史】 周瑜との親愛ぶりを描いたもの、曹操の大軍を前に弱気になった周瑜を叱咤激励するものなど、周瑜と共に絵画や戯曲の題材としてよく登場する。 能力値 統率 武力 知力 政治 魅力 総合 軍事能力 統+武 統+武+知 素質 16 12 73 77 92 270 28 101 順位 620 622 170 132 10 409 629 610 偏差値 31.4 32.5 56.9 59.3 67.2 47.4 31.0 35.1 成長期 普通 普通 普通 普通 維持 - - - 能力持続 短い 短い 短い 短い 長い - - - 兵種 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 適性 C C B C C A 部隊 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 値 9 12 8 13 9 13 10 11 8 10 11 14 順位 622 615 622 620 616 607 618 620 624 618 607 598 偏差値 34.1 33.4 33.8 33.2 33.4 33.7 34.4 33.0 32.5 33.0 34.6 34.6 部隊攻撃力/防御力は技巧研究を全て終えた時点での値。兵器は木獣、水軍は闘艦。 特技 楽奏 毎ターン気力が5回復 マスクデータ 相性 出身地 起用 戦略傾向 地元執着 義理 野望 漢室 生年 登場 没年 死因 性格 音声 口調 125 揚州 能力 地方統一 重視 5/5 1/5 2/3 178 194 210(33歳) 自然死 剛胆 剛胆猪突 令嬢 舌戦 得意話題 保有話術 大喝 詭弁 無視 鎮静 逆上 道理 ○ ○ 親愛・嫌悪 状態 武将名 小喬 親愛 周瑜、孫尚香、大喬 周瑜、孫尚香、大喬 嫌悪 なし なし 血縁 世代 ● ● 1 橋玄 ● 2 大喬 小喬 橋瑁 シナリオ シナリオ 年齢 身分 所在 勢力 忠誠 爵位・官職 功績値 配偶者 義兄弟 S1 184年 1月 黄巾の乱 7歳 未登場 廬江 - - - 0 - - S2 190年 1月 反董卓連合 13歳 未登場 廬江 - - - 0 - - S3 194年 6月 群雄割拠 17歳 未発見 廬江 - - - 0 - - S4 200年 1月 官渡の戦い 23歳 一般 建業 孫策 150 - 3000 周瑜 - S5 207年 9月 三顧の礼 30歳 一般 柴桑 孫権 120 - 5000 周瑜 - S6 211年 7月 劉備入蜀 - 死亡 - - - - - - - S7 225年 7月 南蛮征伐 - 死亡 - - - - - - - S8 251年 1月 英雄集結 - 一般 柴桑 孫堅 120 - 0 周瑜 - S9 198年 1月 呂布討伐戦 21歳 未発見 柴桑 - - - 0 - - S10 203年 1月 袁家の戦い 26歳 一般 柴桑 孫権 150 - 4000 周瑜 - S11 217年 7月 漢中争奪戦 - 死亡 - - - - - - - S12 187年 4月 何進包囲網 10歳 未登場 廬江 - - - 0 - - S13 191年 7月 序を制する者 14歳 未登場 廬江 - - - 0 - - S14 251年1月 女の戦い 一般 廬江 大喬 150 左僕射 16000 周瑜 - 固有台詞 処断時「江東の二名花、ここに散らん」 「うっ……姉さん!」 正直戦になんてでないだろうから、彼女のカットインはいらないだろう、とも思う。 魅力以外低めなので、ある程度功績を与えたら廟・遺跡発掘にかりだしてもいいだろう。 -- (名無しさん) 2010-05-31 23 02 46 気力回復手段の無い水上での楽奏はとても重宝する。 どうしてもカットインが見たいなら、周ユの官職を外して彼女を武官にすえるとかw -- (名無しさん) 2010-05-31 23 22 30 S2だったら未婚なので、固有カットインのないX将系と結婚させて彼女の官爵を上にしとけば毎回見れるぞ。 近場で確保しやすい陳武・蒋欽がお勧め。知力のカバーにもなるし。 本人にしてみれば、望まない結婚だろうけどw -- (名無しさん) 2010-06-19 22 31 25 周瑜とコンビで組む場合深謀も相性がいい。 孫策に槍で混乱させて、火計で敵をやけば、屍がゴロゴロと…。 楽奏のままでも十分相性は良いんですけども -- (名無しさん) 2010-09-21 09 27 37 ↑あほか。周瑜で火計使うなら、なんで深謀がいるんだ。 -- (名無しさん) 2010-09-21 17 47 42 深謀があると、火が消えにくくなるかな。 まあ、別にそれは他の武将でもいいので、楽奏を潰すのは勿体無いけど、あほはやめましょう。 -- (名無しさん) 2010-09-21 18 30 34 ↑補足ありがとうございます 言葉足らずでしたね、この組み合わせにすると、 敵をほぼ負傷可能という点、それによって槍将、弓将と組めば 一部隊で嵌める事も可能です。 混乱がとけたとしても、周瑜の知力なら負傷相手では問題ないでしょう。 仮に周瑜が負傷しても夫婦イベントで、もしかしたら回復するかもという事です 上にも書きましたが周瑜とコンビ限定になってしまいますが…。長文失礼しました -- (名無しさん) 2010-09-22 09 39 06 なんだこのキモ過ぎる画像・・・ -- (名無しさん) 2011-05-15 21 31 44 ↑×2余計に意味がわからないんだけど、どうして火神+深謀でほぼ負傷可能になるの? 火計がクリティカルになっても持続するだけで負傷率は変わらないし、負傷しなきゃ槍将や撹乱で確実に混乱に出来ない。 あと勘違いかもしれないけど、火神って単体で火計クリティカルにならなかったっけ。 -- (名無しさん) 2011-05-16 20 15 26 ↑火神にクリティカル効果はないね、虚実と一緒。 -- (名無しさん) 2011-05-16 20 20 07 ↑x4に関しては、他の部隊で混乱させたらって意味じゃないかな? (それによって槍将、弓将と組めば )はちょっと意味がわかりかねますが たぶん、運用法は他の部隊で混乱させて、この部隊で深謀を生かした単部隊での嵌めだと思う 火計して混乱切れたら錯乱の繰り返し -- (名無しさん) 2011-05-16 21 14 39 画像は無双小喬を三国志風にしたものかな? -- (名無しさん) 2011-06-19 00 23 11 あれ?あの画像無くなってる。 -- (名無しさん) 2011-06-19 10 50 53 あんなもんいると言うのは厨 -- (名無しさん) 2011-06-19 12 50 48 データ交換広場に同じのあるからここには必要ない -- (名無しさん) 2011-06-19 12 56 51 それに12王元姫はすごいぞ 違うのは、髪の色だけだ… -- (サタン(補助通貨単位)) 2012-03-14 08 51 49 そういえば、 この間久々に、「決戦Ⅲ」をやったのですが、 「秀吉」の初登場シーンに、無双の(時期的にⅢかⅣ)の小喬と周瑜の人形が、 行商をしていた「秀吉」の売り物のなかにありました…兵卒が運んでました。 すいません…(笑)もないこと書いて…石、投げないでください… -- (麟華) 2012-03-31 03 37 09 可愛いは正義って言うぢゃない! -- (名無しさん) 2012-04-04 10 03 08 正義であり大義です!! 同志よ!! 石が来るかと思ったら同意とは、 嬉しいです。 -- (麟華) 2012-04-04 10 14 00 統率・武力がかなり低く夫の周瑜と組ませてもいいが呉には義兄弟の孫策がいるし、一応百出持ちもいるのでやっぱり内政員か -- (麟華バカ) 2014-12-28 21 17 54 名前 コメント すべてのコメントを見る